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「有意注意」が自己成長を後押しする No.416
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2022年2月21日 「DAYONE日記」No.416
本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。365日、1日も欠かさず発信します。プロフィールは以下の通りです。
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稲盛和夫さんの「稲盛和夫一日一言」を読んでいると、「有意注意」という言葉に出会いました。
自分で意識をそちらに向ける、つまり、目的をもって真剣に意識を集中させることをいうのです。
我々は、日々の日常生活の中で無意識に流していることが多くあるということです。
例えば、夫婦の会話はまさにそうです。
妻が色々と話をしてくれているのですが、たまに私の頭の中では、仕事のことを考えていたり別のことを考えていたりしていることがあります…。つまり、意識が妻の話に向いていないということです。
でも、その行動に妻が気づかなければ、コミュニケーションとしては成立しているのです。これが無意識にやってしまうことです。
でも、本当は、妻の話に対して意識を払うことで、より深いところまで、妻の感情を汲み取ることができるのかもしれません。
他にも、瞑想するとよく分かります。
意識を呼吸に集中するのですが、次第に頭の中で雑念が浮かんだり、別のことを考えたりするのです。そうすると、意識がそちらに向いてしまうのです。そこを意識を呼吸に戻さなければ、流されてしまうのです。
つまり大事な事は、どんな些細な事でも無意識に流されないということです。
意識を払わなければ、無意識に流されてしまうのです。
それは、つまるところ、「考え続けている」と言い換えることができます。
営業でいえば、自分は相手に対してどんな価値提供ができるかと考えています。それは、相手に意識を払い、とにかく相手のことを考えているということです。
そして、その価値提供は、「自己基準」ではなく「他人基準」です。
自分が良いと思っていても、相手が良いと思わなければ価値提供できないのです。
相手の期待値を大きく超えるものを提供できるから、それを価値として認めてもらえるのです。
それを実現するには、必ず意識を相手に向いてなければできないのです。
だから、意識を払うというのは、相手の立場に立って考え続けるということです。そして、それは、相手に興味・関心を持つとも言えるのです。
私は、日常の中で、子供達との会話に対して適当になってしまいがちです。それは、意識が子供達でなく、自分に向いていることが多いからかも知れません…。
でも、しっかりと子供等に意識を向け、「何を伝えたいのだろう」、「どんな気持ちになりたいのだろう」と興味を持って接してみると、子供達は喜んで話をしてくれるのです。興味を持つから、こちらの質問も相手の心に伝わるのではないかと思います。
だから、意識すれば、どんな人でもコミュニケーションの取り方が変わってくるはずです。
でも、意識してコミュニケーションしようと心に決めても、すぐに忘れてしまいがちです。
それを、何度も繰り返そうと意識するから、少しずつ意識できるようになっていくのです。それは、自分の頭の中に「意識してコミュニケーションする」という言葉が残るようなイメージです。
頭の中に言葉が残り始めるから、少しずつ実践していくことができるのです。それを何度も繰り返すことで、自分の中で習慣化されるのです。無意識に、意識を払うことができるようになるのです。
だからスタートは、自分の中で意識する。
とにかく、何でも自分の意識を払うことが大事になってくるのです。
それは、「気を入れる」と言い換えることができるかも知れません。
同じ行動をするにしても、「意識を払う」と「意識を払わない」では、その行動から学びやその行動そのものの質は、必ず差が生まれるのです。
そして、それを毎日やっているだけで、長い目でみれば大きく差が生まれるのです。
だから、日々の生活における行動に対して意識する。
それは、自分の行動基準を持つということです。
だから、無意識に流すのではなく、とにかく考えてみる。そうすることで、自分の気づきが多くなり、自問自答の機会が増えるはずです。
それが、自分の成長につながるのです。
今日もまた、稲盛和夫さんの「有意注意」から大きな学びを得ることができました。
本当にありがとうございます。