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祖父の日記(サバン島抑留)039 船・爆弾投棄・肩が重い

船 七月二十三日

作業している時、沖を船が通った。日本へ帰ることなど儚いゆめであっても、今眼の前に船を見ると、此の赤道直下、捕らわれの南の島から逃れたい気持の只わけもなく湧いて、目をしばたくことも忘れて眺めるのだった。
何時か便船があれば帰れる一般抑留者と異なり、戦犯という烙印を背に捺されている我々にとっては、どうしても払拭し切れない心の暗さがあった。 
サバン島から眺めるスマトラ島も、その場所に依っては、丁度新潟から佐渡が島を望むより判っきりと陸地が見えた。 
もし脱走するならあの北スマトラ、アチェの山だ苦役に疲れた我々の誰しもが吐く言葉であった。 
墨色の船のかすみて過ぎゆけり
       貨物船らしマスト見ゆれば 

七月二十四日~二十五日

海の面は波のうねりて漁撈する
       小さき船の見えつかくれつ 
岩の上を燕とびけり輪を描きて
       羽ばたきもせず只輪をかきて

爆弾投棄 七月二十六日

日本海軍の弾薬庫は全島の各所にあった。よくもまあんな辺鄙な場所にどうやって弾丸を運搬したのか、又そしてその量の豊富なことか。敵の反攻を予期して準備を万全にし守り抜いた彼等の周到さには全く敬服の外はない。 
只、敗戦に依って未使用の此の危険物は全部我々が背、肩、足を利用して、岩角を踏み、沼を越えて海岸へ搬出し、船に積んで印度洋へ投棄した。勝つ為に、国民の血や汗による税金、そして寺の鐘や各家庭の金物等で造られた此のものが、今斯うして無雑作に海中へ棄てられて仕舞う。 
みどり色の海底へ白い泡の尾を引きながら沈んで行く。 
浮き上って来る気泡の一つひとつに沈むものの無念の魂が、恨みがこもっていたとしても、現実は只ボカボカと泡がはかなく浮いて消えるのみだった。 
しばらくして海底に届いた爆弾は、之を最後に一連の泡を残して永久に別れを告げて逝く。そして印度洋は何も知らぬ気にみどり色に光っていた。 
地へ届く音もきこえず爆弾の
       なきがら沈むみどりの凄く 
酢味多き木の実噛みかみひとどころ
       部屋隅に寄り友だちと話す 

肩が重い 七月二十七日

爆弾の投棄作業は今日も続いた。特に大きな爆雷を海中にほおる時、我々は空腹で力がない。せい一杯押しても、引いても、甲板から仲々落ちてくれない。監視のオランダ兵は之を見て、シャツの下から赤く日焼けした毛ムクジャラの太い腕をめくり、たった一人で海中へドボンと放った。そして日本人の力の無さを嘲ると同時に、力の出し惜しみをする我我の行為を看破って、近くにいる一人の背を足で蹴った。 
我々は 
「ヨイショ ヨイショ」 
と、力の無い掛声で、互に顔を見合わせながら弱々しい眼で合図し、尚も力の出し惜しみをつづけ、いたわり合った。そしてやっとの思いで作業を終った。 
島影のうごき行きけり弾丸積みて
       捨てる小舟の波に漂う 


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