育児日記 (もしも)
もしも私が今死んだなら。
たまにふとそんなことを考える。
息子はもうすぐ3歳、娘は1歳。もしも私が今死んだなら、将来大人になって、子供たちは私との日々を、全くと言っていいほど覚えていないだろう。
写真と聞いた話とで作り出される記憶を、私との思い出にするのだろう。
こんなにも愛し時間を捧げてきたのに、そのことを知っているのは私と夫と、せいぜいおじいちゃんやおばあちゃんで、当の本人たちはまるで覚えていない。
でもそれは仕方のないことで、私だって小学校高学年~中学生くらいからがはっきりと残っている最初の記憶で、それ以前のものはとぎれとぎれのものだから。
きっと私との密度の濃いずっと一緒にいた3年間、もしくは1年間よりも、大学生くらいになってなんとなく1年間付き合った恋人とのことの方が覚えているのだろう。
ああ、なんとも切ない気持ち。
でも子供を生んでから、私もこんな風にきっと愛されてたんだろうなと、親と私の、覚えていない記憶を辿ったことがある。親は覚えているけれど、私は一切覚えていない記憶。それはもうまるで別人かのような感覚に陥るほどに。
だがしかし。そんな、もしも今私が死んだなら?なんてことは考えていても仕方のないことなので、出来る限り長く生きようと思うし、たくさんの愛情を目いっぱい捧げていこうと思う。子供たちに、いつか恋人ができたとしても、結婚したとしても、誰よりも一番愛してると伝えていきたい。
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