「デブは好きでデブでいる。」ダイエットに望む意識とは?
誰このおじさん…
ダイエットを拒む要因ってなんだ?
ダイエットに理由って必要なのか?
日本という国はルッキズム(外見至上主義)が強いと言われているみたいです。初手からの超くそデカ主語で怒られそう。
まあ主語を広げてもろくなコトないし、真偽もわからないので置いておくとしても、現実的にデブっていうのは(外観的な意味で)一般的にものすごーく単純かつ言い訳のしようがない「欠点」です。
なので、その欠点を克服したいという気持ちが湧き上がることは自然だと思います。
無意識のうちに”デブ”を”求めてしまう”わたしたち
かの有名なアドラー心理学的に分析すると、人は「デブ」を都合よく自分の味方にしてしまうことがあるみたいなんですね。
なんのこっちゃ、という人へ。わかりやすい例をあげてみます。
『ぼくは、デブだ。昔からデブだということでいじめられてきた。デブだから、足が遅い。体育でも活躍したことがない。デブだから、友達も少ないし女の子と付き合ったこともない。』
さて、上記の文が言いたいことって何でしょう?デブであることの嘆き?それともデブである自分への怨嗟の声?
違います。これは、「『デブ』であるから自分には価値がない≒デブでさえなければ自分はきっと価値ある人間だ。運動もできるし友達も沢山、女の子にもモテるかもしれない。」という逆説的な心理的保身、現実逃避になってしまうんです。
こういった、自分が劣っていると感じていることを言い訳に、問題や課題から目をそらす行為を「劣等感コンプレックス」と呼ぶそうです。
ダイヤモンド・オンライン様の記事で良いものがありました。この記事が参考になります。
デブな自分=可能性の塊? 痩せた自分=残酷な現実?
もし、デブであることを止めて痩せてしまえば、「いじめられたこと」も「運動音痴なこと」も「友達が居ないこと」も「女の子とお付き合いできないこと」も全て素っ裸の自分に降り掛かってきます。
もし痩せても運動音痴のままだったら…女の子にモテなかったら…その時は本当に「自分には価値がない」と証明されてしまいますよね?
だったらいっそのこと、デブのままでいい。デブでいる限り自分の価値は確定されずあやふやなままなんだから。
ひとは、「デブであること」を、何かを諦めたり、踏み出せなかったり、
失敗してしまったことの言い訳にしてしまう。
だから、デブであることを辞められない
もちろん、上記の内容が万人に当てはまるものではないと思います。
でも、同じような言い訳って結構しちゃったりしますよね。これが結構ダイエットの決意を鈍らせる要因なんじゃないかなと自分は分析しています。
と、何を書きたかったのかわからなくなったまま筆を走らせてしまったのでダイエットとは何の関係もない心理学なんだか哲学なんだかっぽい話になってしまいました……申し訳ないです
次回こそは、ダイエットを始めたきっかけ、何が長続きの秘訣になったか、どのように効果を実感していったか、という実践的な話を書きます。よろしければ、ご覧くださいませ。