熊本赴任で学んだこと。
「熊本、行っちゃう?」
9月中旬、出張で上司と熊本に来てお客様と打ち合わせした帰り、ホテルのロビーで反省会。
「はい。行かせてください。」
僕の熊本赴任は、ふたつ返事で決まった。
今回は嵐のように過ぎ去った僕の熊本赴任について、書き記したいと思う。
水面下で進んでいた競合他社の買収
まだ社長室の新規事業開発の1チームとして動いていた我々は、20年の8月を境にそれまでの倍の規模に拡大することになる。
山口県に本部を置き九州全域、特に熊本県多くの顧客を抱える法人を買収したのだ。
その法人は家族経営で、抱えている顧客も小規模の事業所が多く、地域に根付いた経営・サポートを目指していた。
都内の法人で効率を追いかけていた我々とは、少し違う文化を持ち合わせていた法人だった。
一方で、関わる全ての人がハッピーになることを目指す姿勢には通づるものを感じていた。
8月の中旬、初めて先方の理事の方と打ち合わせをする機会があった。
「顧客が増えてくる中で、私が親の介護もしなければならなくて。」
法人の理事(まだ30歳前後の若い経営者)が赤裸々に伝えてくださった。
事業としては好調。既存顧客からのリピートはもちろん、その口コミが回り新規のお客様も着々と増えてきていた最中だった。
「今の法人体制ではその案件を捌き切れない。このままだとお客様に迷惑をかけてしまう。それは絶対に避けたい。」
心から発せられる熱い思いが伝わってきた。
それから半月後、先方の顧客を全て引き継ぐプロジェクトにおいて、僕は主担当として携わることになった。
精神を病んで半年間の休職。復職してからわずか4ヶ月での出来事だった。
贔屓目に見ても、「電撃復帰」だったと思う。心の病を患ってからここまで垂直復帰できるケースも少ないだろうと思う。
”一時的に”、調子が良かっただけだった、と気づいたのはしばらく後になってからだった。
想いだけでは覚悟は伝わらない。
先方のお客様と顔合わせをするべく、現地熊本に向かう。
コロナ禍ということもあり、遠隔でのサポートによって引き継ぐことを予定していた。先方にとっても菌を持ち込むリスクも減り、メリットはあると考えていた。我々としても、コストの面から、定期的な訪問よりも、東京からの遠隔サポートを見込んでいた。
その見込みが、「机上の空論」だと気付いたのは出張初日だった。
9月中旬、熊本出張初日。
古くからの付き合いだというそのお客様から、強く指摘を受ける。
「前回の担当もすぐに辞めちゃったしなー。信用できないよ。」
前任者が一ヶ月も経たないうちに辞めてしまっていたのだ。
「ご信頼いただけるよう全力を尽くします。」
気持ちを伝えるしかない。そう思い、言葉に気持ちを乗せる。
しかし、
「んー。。。」
こちらの言葉が一向に響かない。
なんとか話をまとめて最初の打ち合わせを終える。
その日の打ち合わせは計3件。
2,3件目の打ち合わせでの強烈なご指摘を受ける。
(お客様が望んでいることはなんだろう。。。)
田舎には地方独特の文化があったりする。
お客様にとって、ある日急にやってきて東京から遠隔でサポートすると伝える我々は、きっと「敵」に近かったのかもしれない。
(小手先で対応しようとしてるんじゃないのか。)
お客様の中にはそんな思いもあったのかもしれない。
では、どうすれば「味方」として認識してくださるのか。
(覚悟を行動で示すしかない。)
これしかなかった。後で上司も同じ思いを抱いていたと知った。
迷わず決める。
上司と2人、ホテルに着いた我々は、心労でぐったりだった。
ホテルに着くや否や、ロビーのソファーに座り込んだ。
出迎えてくれるフロントスタッフの中国人女性。
フカフカのソファー。
フリードリンクのコーヒー。
沈みかけている夕日。
気持ちで覚えた記憶は鮮明で忘れないというが、本当にその通りだと思う。
座るや否や、普段鉄のようなメンタルで仕事を遂行する上司が、吐露する。
上司「しんどかったなー。」
10歳以上年上の上司だが、普段からフランクに接している上に、心労が重なって言葉が軽くなる。
僕「想像以上に厳しいっすねー。」
上司「どう思った?」
僕「遠隔は厳しいと思います。」
上司「だよね。」
僕「現地に人、必要じゃないですか。」
上司「だよね。」
僕「・・・・・・・・」
上司「・・・・・・・・」
一瞬、ふたりの間に沈黙が流れる。
上司が口を開く。
「熊本、行っちゃう?」
僕は考える間もなく答える。
「はい。行かせてください。」
こうして僕の熊本赴任は決定した。
人から期待してもらえる喜び。
熊本赴任が決まったその日の夜、帰りの航空券を変更し、不動産会社に連絡を入れ、週末を利用して物件を決めてから東京へ帰還した。
急展開にビビる同僚、先輩達。
「大丈夫か?」と心配してくれる人事の大先輩。
半年の休職から復職して4ヶ月の若造が、事業統合で単身九州で仕事をする。
反対の声が上がるのは当たり前だった。
しかし、そんな声を押し切るには充分なパフォーマンスをしていたことを、上司が太鼓判を押してくれた。
前の部署にいた頃の上司で、復職してからも引き続き気にかけてくれていた大恩人Tさん。
現地赴任を祝って、決起会を開いてくれた。
決起会ではチームメンバーだけでなく、社長室のメンバーも参加してくれた。
チームの後輩が寂しそうに呟く。
「遠くなっちゃうの寂しいですー。。。」
社長室の先輩が褒めて讃えてくれる。
「よく頑張ったな。これからが勝負だな。」
別の新規事業を立ち上げている先輩が声をかけてくれる。
「まじで期待してるよ。何か一緒にやろうな。」
(人から求められ、期待されることってこんなに嬉しいんだ。。。)
僕は”仕事の根幹”をこの時学んだ気がする。
想像以上の厳しさを思い知る日々。
赴任初日。
気持ちよく送り出してもらったため、気持ちは晴々として心地よかった。
そんな高ぶる気持ちとは裏腹に、熊本への赴任後は孤独な戦いが始まった。
既存業務と並行して熊本での事業統合PJTを担当した僕の日常は、常に仕事のことで頭が一杯だった。
遠隔でのメンバーのマネジメント。
既存の案件の納期への切迫感。
新しく引き継いだお客様との関係構築。
引き継ぎ前後で発生したトラブルの火消し。
クレームの対処。
一日でも気を抜くと、やることが頭からこぼれ落ちそうで、毎日気を張り詰めていた。
(仕事が捌き切れてないな。。。)
心のどこかで勘づいていたが、見て見ぬふりをしてとにかく日々降りかかってくる仕事に盲目的に取り組んでいた。
お客様からの着信。
(あー、これ絶対あの件だなー。まだやってないやつだわ。。。)
着信画面を見て、即座に気付く。
(夜やって明日折り返せばいいや。)
折り返しを明日に後回しにする。
気が付くと、増える仕事のうち、手間がかかりそうなものを後回し(夜)に回すようになっていた。
これが悪循環の始まりだった。
それからの日々は、全てに後手に回ってしまっていた。
■見通しが立たない・時間がかかりそうな仕事を後に回す
↓
■一日が終わった頃には新しい環境ということも重なって、疲弊していて余計に仕事が手に付かない。
↓
■お客様への回答・報告が遅れる
↓
■新しいクレームになる
↓
■仕事が後手に回る
(以下省略)
気がついた時には、電話の着信音がなることが恐怖になり、耳鳴りが聞こえ始めた。
自分が巻いた種で、自分の心をすり減らしてしまう。
そんな日々が続いた。
悪循環からの再発。
心労を溜め続けてしまった僕は、改めて「適応障害」の診断を受ける。
しかし、今回は、完全に自分が悪い。そう思った。
赴任する直前、上司から、
「この仕事、本来なら30代半ばくらいの人に任せる案件だから。」
と、聞かされていた。
だからこそ、頑張ってやろうと思った。
チャンスだと思った。
休職を乗り越えた自分ならやれると思った。
でも、できなかった。やり切れなかった。
完全な、挫折。
何がダメだったのか。何が自分にとって不適合な環境だったのか。
どういう環境なら成果を出しやすい自分がいるのか。
自分の得意なことは何なのか。
この経験をを自分の血肉にするためには、反省して次に活かすしかない。
帰還。自己反省。
上司との相談の末、僕は再び実家で療養することになった。
やっとこうして再度発信ができるようになってきた。
当時の何がよくなかったのか、振り返りをしようと思う。
①仕事はめんどくさいファーストで。
行動はやる気が出てから発生するものではない。
行動するからやる気が湧いてくる。
迷って5秒経つ前に、手を動かす。
手を動かしながら考える。
そうすることで、モチベーションに起因して仕事が溜まるのを防ぐ。
「明日野郎は、馬鹿野郎。」
②できてません、も、一つの報告。
お客様も敵ではない。できていないのはしょうがない。
で、どうするか。しっかり伝える。
判明した時点で相談する。
仕事にかかる時間の見込みを長く見積もる。
そして、その余裕を持った見積もりを元に、はやく実施する。
③自分にとって無駄な作業を省く。
僕にとっての無駄な作業。それは、”迷うこと”。
こうやった方がいいかも? この考えは間違ってるかな?
迷いながらやらないように、
確定できることと、正解がないこと、を初めに明確にする。
④得意・不得意の自己開示。
チーム内で相互フォーローしやすい状態を維持する。
「大丈夫です。やります。」と言ってしまう責任感は、しっかりやってこその責任感。
目的は、仕事の完遂だと心得る。
アップデートした ”人生の目的”
僕は、療養中に、人生の目的をアップデートした。
というか、よりしっくりくるものに辿り着いた。
僕の当初の人生の目的は、
「人・モノの可能性を広げるために、きっかけや機会を提供する」
だった。
16年間のサッカー部での経験。
学生団体のNPOでの経験。
3年間弱の新規事業部での経験。
休職して復職して、また休職した経験。
過去の出来事を見つめ直し、脳内に浮かび得る全ての記憶を白紙に書き出す。
その数、150枚程度。
自分は何のために生きているのか。
何に対して熱量が上がるのか。
何が琴線に触れるのか。
そして見つけた自分の揺るぎない軸は、「強い組織を作ること」だった。
「自分が所属する・関わる組織が、力強く・連帯感を持った組織にしたい」
そして、お世話になった地元が、将来も存続できるように価値をもたらすことだった。
まとめると、
「組織開発を通じて、地元企業の地力を上げたい。」
これが(仕事を通じて達成したい)私の生きる目的である。
まとめ
僕は、転職活動を始めたところである。
この選択が正解になるかどうかは、まだ分からない。
しかし、スタートアップで過ごした3年間は全く無駄じゃなかったと思う。
それを証明するためにも、自分が活躍できる新天地で結果を出す。
今度は、新天地で、結果をどう出していったか、書き記したいと思う。
つづく。