梟と、言葉にはりついたイメージを考えること
いつの頃からでしょう。
旅先で何となく、フクロウの置物に目が行くようになりました。
少しずつ持ち帰った梟たちは今ではそれなりの数になり、我が家のキャビネットで丸い目をキョロキョロさせてます。
ただし、梟が好きと言っても、動物園で梟を見てテンションがすごく上がったり、
肩に乗せてコーヒーを愉しみたい訳ではなく(フクロウカフェのイメージ。)、
オブジェになった梟の、デフォルメされた可愛らしさ。
神話のような世界観が好き、なわけです。
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梟は幸運を呼ぶ鳥だと言われていて、「不苦労」だったり、「福来郎」だったり、
あるいは、首が曲がることから、お金に困らないと言われたり。
こうして見ると、日本語に由来した縁起の良さなわけですが、遡れば、ローマ神話に知性の象徴として登場するらしい。
知性のイメージが強いのは、ハリー・ポッターが飼っている梟とか。
個人的な経験では、ヨーロッパの国を旅していても、梟のオブジェを目にする機会が割と多い気がします。
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趣味?でペラペラとめくっていた本に、たまたま梟のことが書かれていて、面白かったです。
『フィールド言語学者、巣ごもる。』吉岡乾著
「言語学者が執筆した本」という色眼鏡は抜きで、巧みな話術、表現のバリエーションの多さに、ワクワクしてしまいました。
で、この本の、「翻訳できないことば」という章。
言葉には、へばりついたイメージというのがあって、何の概念にどんなイメージを伴っているかは、言語ごとに異なるという。
その例として梟が登場するんですが、「梟を愚か者の象徴として考える言語文化」は、割と多いということを知りました。
「梟の価値は梟が知っている」(ヒンディ語)
→→馬鹿者のことは馬鹿者こそが評価できる、という意。
「梟は鷹(たか)を産まない」(ウクライナ語)
→→日本語の、鳶(とび)は鷹を産まない、の意。
「鳶(とび)と隼(はやぶさ)とが結婚して梟を産んだ」(アムハラ語*)
→→思わぬ失敗、のこと。
梟が愚か者の象徴という言語文化、そんな文化背景を持つ人が我が家のキャビネットを見たらどう思うのかしら。
言葉は、各言語の背景にある文化から影響を受けたり、あるいは、話者の個別な場面に応じて印象は変わるわけで、では、完全に一致したイメージを共有する言葉って、あるのだろうかと。そういう疑問を、投げかけていました。
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突然、次元の低い話になるのですが、、、
以前、友人と共通の知人の話になった時。
私はその人のことを「賢くて素敵」と思っていて、
友人は「顔はいいけどずる賢い」と思っていた。
この、同じようでちょっと違うズレを前提にした会話は、当然何か噛み合わなくて、最終的に「え?嘘でしょ?」と、笑ってしまったことがありました。
同じ文化で、言語で、大体同じような世代でも、世の中(?)の見え方って違うよなって。
こんな結論で正しいかわかりませんが(汗)、
世界というのは、そういう風に、一致しないイメージを共有しながらも成り立っているのが少し面倒で、面白いんだろうなと、思うところです。
そんな経験・・・
きっとありますヨネ・・?🤭
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