Måneskinの曲は、ENFJの支配欲をよく表していると思う話【MBTI】
20代半ばのENFJ-Aです。Måneskinについても、MBTIについても、ふんわりとしか知らない。反応した感覚だけを昔からいつも頼りにしている。だから、あんまり真実性を帯びないかもしれないんだけど、思った事を言語化してみたい。noteの使い方もあまりよくわからない…変な所があったら教えてください。
そう思ったきっかけになった曲
初めて聴いた時、驚いた。(自分はロックスターにはいつもそういう反応をしている気がする。)
自分にとって、根源的で逃れられない欲求、しかし許されざる欲望を彼らは音楽として昇華している。心地よい。一言一句、愛に見せかけた支配欲があるのがわかる。
ENFJは、歪んだ支配欲を持って生まれてきたから、それを万人受けするよう愛に見せかけざるを得なかった人たちなんじゃないか。そう思った。
よく言い表していると思う。
支配されることによって相手を支配できることをよく知っている。
この、間接的な支配をしたがるというのもENFJの特性かもしれない。誰にも狼であることを疑われずに、場を掌握したい。究極的に利己的であることが、利他的になることを理解しているから相手を支配することに抵抗がない。相手の人生に影響を与えることに抵抗がない。相手によっては、劇物だ。
Måneskinの曲と自分の欲望がリンクし始める。しかし私は凡人だ。昇華する術は、間接的な他者支配しかない。行動経済学や心理学や哲学、ブランディング、マーケティングの本を読み漁り、欲望を満たす為に他者を消費する。浅はかだと自覚している。しかし止めたら私には何も残らない。歪んだ承認欲求が自分を此処まで運んだ。
確信に変わった曲、「THE DRIVER」
「見つめられて、追い込まれてもいいから、君には自分の罪に気付いて欲しい。そして同じ十字架を背負って。」
そう。見透かされる事がないから、見透かされたい。ENFJの強さを弱さだねと見透かせる人は滅多に居ない。でも、たまに、ヒュッと現れるんだ。
私も心の痛みによって繋がりたい。だから感傷的で孤独な人間に照準を合わせる。彼らの化膿しきった傷はかわいい。
歌詞をそのまま受け取ると、「俺」がただマゾヒスティックのように見えるけど、相手を自分の描く情熱的なドラマに乗っからせたいんだ。これも間接的な支配なんだね。今、自覚した。
これは、無意識にENFJがよくやりますね。相手の人生にドラマチックを与える。
これやらないと、つまらないから、よくやってしまう。
相手の欲求ありきなところがENFJっぽいというか、「君が望むなら、君が求めているもののなかで
自分ほど最上なものはないよ。」
っていうことはナチュラルに思うかも。何だろう、この自信…。笑
そして、次の項ね。これが確信的だった。
「愛を感じたいなら自分はそれを叶えられるよ」って、ENFJは常に思っていると思う。それは不純物のない素直な気持ち。
そう思いながら、
あなたをめちゃくちゃにすることも出来る。
あなたを自分のドラマに出演させて
唯一性を与えることができる。
それを与えてから奪うこともする。計画性を持って。
他人に雨の日に疼くような古傷を1番付けているのは、ENFJなんじゃないかと思う時がある。
…
ENFJは、主人公ではない。
誰をも救うヒーローではない。それらは手段や結果に過ぎない。自分の歪んだ承認欲求を、満たすための手段。利己を極めた末の利他。外向的で共感的ゆえ、それを実現できてしまうのが闇を深めている。
ENFJを説明するとき本来語られるべきは、「無尽蔵の支配欲と承認欲求」の一言に尽きる。
というか、出掛ける準備をしないといけないから、ここで筆を擱く。
言葉にするの楽しいな。共感してくれる人がいたらもっと嬉しい!
またね。
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