世界哲学史7-近代II 第1章 理性と自由【メモ;途中まで】
第1章 理性と自由 伊藤邦武
1はじめに PP. 15-
自由とは良いものであるという P.15
そうだろうか、品数が少ない・選択の自由の幅が狭められている方が人間は選びやすいともいうが。
自由とは基本的に「人間という存在者にだけ属して」いるというP.15
宋だろうか、鳥かごにとらわれた鳥にも不自由、そして可能性としての自由があると思うが。
デカルトの打ち立てた二つの自由
1.自分の求める目標を実現するために、自分から積極的・自発的に意思を発揮すること P.16 l.12
2.さまざまな目標がありうるときに、それらの性質や特徴にとらわれることなく、無差別な形でどれかを任意に選び出す自由
自分の頭で考えられる。デマに影響されない自由意志を持っているということだろうか。
19世紀の哲学が、自由の問題を扱う際の特徴の第一
この時代の哲学が自由についてデカルトが提唱したような二つの意味を、「時間の流れに沿って生じる、出来事どうしの発展や変化」という「外的事象にかんして考えようとしているところにある」という。P.17
歴史には「理性」という個人を超えた精神の働きがもっている、自発的で積極的な関与が認められる、と答える立場がある。
上記の立場は、「歴史に関するロマン主義的理解」であるという。P.17
上記のような思想の源はカントの第二批判にあるという。
自然を支配する物理的必然性とは別の次元に、実践理性という叡智的なものの働きを認めようとした、カントの哲学に源をもっている。 P.18
カントは実践理性の働きを叡智界に見出したが、その後の哲学者たちは現実においてそれを見つけようとしたという。P.18
第二の見方
歴史的変化に「自発的・積極的な意志の働き」はない。P.18
「すべては偶然の堆積において、様々な無差別の選択が行われる結果成立する」という見方。
デカルトの第二の自由に重きを置く見方。それを「現象の時間的な推移」と重ね合わせて考えたのが、「自然選択と適者生存という原理によって生物種の変化や多様化を理解しようとした、ダーウィンのような見方」PP.18-19
第三の自由 P.19
「自己コントロールを通じた自己形成という別の種類の自由」を考えてみようという方向。
自己コントロール
自分自身の習慣を形成することで、新たな自分へと変貌するような、積極的な自由 P.19
2理性のロマン主義 PP. 21-
英仏における啓蒙思想(主義)PP.21-22
「人間の理性や自然の感情を強調」
ドイツの啓蒙思想 P.22
ナポレオン戦争下で発達
「ロマン主義という新たな傾向」を孕んでいた
ロマン主義 P.22
「ドイツにとどまらず、19世紀西洋の文芸や芸術において、広い範囲で大きな力を発揮することになった」
本来の意味
「古代ローマ時代の風習や制度、文化を尊重する」
古代ローマが古典的スタイルの完成後に、「通俗的なスタイル」をとるようになったときに「民衆的な言語の用法に従う」という意味も持っている。 P.22
ロマン主義の文学は以下の意味を持つ
通俗的な言葉で語られた英雄的冒険や宮廷的恋愛をめぐる波乱万丈の物語のスタイルを踏襲する P.22
この意味は、筆者にもなじみがある。「ロマンチック」という言葉を聞くと、恋愛もので胸がときめくようなものを想起する。
ロマン主義は以下のような傾向があるという。「古典主義に対立して均衡と調和への思考を拒否」し、「混乱と危険に満ちた感情的興奮」へと向かおうとする。P.23
ヘーゲルの考える人類の歴史
以下のようなストーリー性を歴史は持つ
理性という精神的な生命力が、さまざまな困難との出会いのなかで、多様な形態を採用することを余儀なくされながらも、
理性を生命力としてとらえているのが、斬新過ぎて理解が追い付かない。
最終的にはその本来のあり方の実現という目標を完遂し、自己充足を成し遂げる物語である P.24
理性の「本来のあり方」とは何か?
そんな目標があったのか?理性が目標を持つってのがよくわからない。誰が決めたんだ?
上掲の「さまざまな困難」は、以下のように理性を成長させるような試練的役割を果たしたという。
理性は混乱と破壊を繰り返しつつ、まさにそれらの否定的継起を糧にすることで、かえって自己本来の姿を十全な形で確認するという、否定を媒介にした目的論的性質を発揮する。 P.24
3進化と淘汰 PP. 29-
4第三の道 PP. 33-
以上、不完全で申し訳ない。逆にこの本のまとめちゃんとやっている人のあったら教えてほしい。
この章は、デカルトの打ち出した二つの自由、それとは別に第三の自由が提起されていたと記憶している。それが軸になっていた。