どこまでできれば向いている・いないと言えるのか
・簡単にやめるな甘えるな
・もう止めて!そこまで無理しなくても
それこそ判断基準は個々に異なるけど、向き不向き、不適ゆえに止められる、甘えと言われないのはどこからなのかなという話
(頑固爺婆のお小言を除く)
やらずに拒否ったら甘え・死ぬまでやったら無理難題
まずは極論から。
まあ、似たような経験もなく、適性検査みたいな根拠(?)もなくただ否定するのは、不向きとは決められませんわなあ。
かと言って、それが原因で死んでしまったら、適性があるとは言い難く。
(あくまで死なない人が大半の物事であるという前提で)
1回・2回ならまだ甘え?
とりあえず試してみた場合、はどうでしょう。
その1回だけで、ドジっ子も裸足で逃げ出すようなミスを繰り返すなら、向いてないかなーと言えるかな。
ただ、物事の多くは数回程度では基本しか学習できず、応用において向き不向きが確定しないこともあるよね。
応用が自発的にできれば向いてる?
ってことは、応用を理解していれば向き不向きは判別できて、それが実践できなければ不向きってことで次に行けるのかな?
応用ができているのに基礎がダメってケースは稀だろうし。
(これが問題ないのに辛いと感じるようなら、人間関係とかほかの方面に原因を当たった方がいいとも言える?)
的確な指摘を受け入れられれば向いてる?
叱るではなく、怒るだけの人相手の状況は論外として。
例えばミスをして叱られた時に、次は間違わないようにしようとか反省かつ、吹っ切れるかは重要かも。
「的確な指摘」という前提があってもなお、自分が悪いと思えない(かつ、ミスを繰り返す)なら向いてない。
逆に1回の叱り、ちょっとしたミスで叱った人も周囲も言うほど迷惑じゃない、次気を付ければOKって気楽な状況でも、過剰に怯えてしまう人は注意というか心配。下手すると「私の」せい、「私が」悪い、とかネガティブ的自己中に陥りかねない。
自分は悪くないって考えもアウトだけど、自分が悪すぎるって考えるのもヤバい。過剰に怯えるがゆえに、次回以降徹底して気を付けるならまあいいけど、怯えすぎて繰り返すルートは誰も幸せにならない。
そもそも叱られること自体がダメなタイプなら、なおのこと、叱られないレベルのことができる場所へ行くべき。
(そんな場所がないなら、自分で新たに作り出すか、今ある場所の中で達成できそうなものを探すしかない。それもできないとしたら流石に甘えの可能性がある)
残業・居残りが必要なら向いていない?
一方、作業自体は応用も可能でも、例えば仕事で残業するとか時間をかけないとクリアできない場合は向いてない?
数日でなく1日未満、徹夜せずこなせるぐらいなら問題ない?
正解や効率の良い方法を教えてもらっても変わらない、時間がかかるだけなら向いてない?
(効率の悪い方法しか知らない、教えてもらえないなら以下略)
規則正しい生活ができないなら向いてない?
早寝早起き、栄養バッチリ、適度な運動、趣味充実、家族友人恋人充実とまでパーフェクトにしろとは言わないけれど。
例えば深夜まで作業をするとして、翌日遅めにスタートしてもよい(時間の長さなら睡眠は十分、翌日分の作業は軽めなど配分できる)とか。
毎日手料理は難しいけど、外食などの出来合いでもバランスはカバーできる(だけのお金があるかも大事?)とか。
ジムに通うことはできなくても、1駅分歩く余裕があるとか。
平日は遅くまで作業だけど、休日が確保できてたっぷり趣味や交流に費やせるとか(これは仕事の場合、勤務体系にもよるが)。
もちろん、睡眠は短時間でいいタイプ、交流より1人でのんびり派とか、それぞれにスタイルは異なるだろうけど、その中での規則を維持できてるかどうか。
そしてできていないからこそ、心身の病気から、最悪死というルートが展開されるのかなとか(できてるのに無理なら以下略)。
ほかにもあるかな。比較的曖昧にならないようなポイント。
最初に触れたように、結局は人間関係のせいで向き不向きが決まってしまう感じではあるのが、また厳しいところかもしれない。
投稿が気に入っていただけましたら、サポートもご検討ください。 いただいたサポートは筆者の生活費用のほか、ほかの方へのサポートや作品の資料などに使わせていただきます。