「大学」を読んで①

おはようございます、くぎです。

今日、熊本城マラソンの日で、同僚や知り合いが走っているんですが、走るよ〜って話を聞くと、自分の時間の使い方について考えさせられます。

きっと、走る人たちは、今日1日だけの時間を作っているわけではなくて、練習をしているわけで、練習時間も確保している。

人間には、1日24時間が与えられていて、一生(一生はどれくらいの長さになるのかお天と様しかしりませんが)をどう使っていくかということが与えられています。

その中で、僕の時間の使い方はどういう使い方をしているのだろう、もっといい方法はないか?行動できているか?したいことができているか?と考えるきっかけです。走っていませんが、熊本城マラソンには感謝です。

さて、久しぶりに「大学」に学ぶ人間学を読みました。

大学とは、

『大学』(だいがく)は、儒教の経書の一つ。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子によって作られたとも秦漢の儒家の作とも言われる。

Wikipediaより

江戸時代に盛んに読まれた本の一つで、小学生くらいの子が寺小屋で素読をしているそうです。
もう直ぐ40の僕が読んでも、意味がわからず、「大学」に学ぶ人間学の解説を読みながら、少しずつ理解を深めているところです。

ちなみに、最近は、オーディブルでゆっくり目に訓読を聞きながら、後に連なって訓読しています。これが、なかなかいい。おすすめです。

大学の道は明徳を明らかにするに在り。

大学の冒頭の文章です。
『「大学」に学ぶ人間学』では、徳を、自己の最善を他人に尽くし切ることと書いてあるんですが、
これぞ徳って場面はどんな場面だったんだろうって考えました。

今日、ちょうど祖母の家に行って来たんですが、今朝、10時半くらいに行くからって電話して、結局着いたのは11時ごろだったんです。
電話で、僕の滑舌が悪かったのか、無意識に言い間違ったのか不明ですが、11時半と伝わっていて、家に行っても祖母がいないなんでかなーって思っていたんです。

そしたら、叔父の車で一緒に帰って来て、昼前なのでと、弁当とか、ヨーグルトを買って来てくれていて、昼ごはんにということで出してくれて、そしてさらに食べている時に、お汁をつくってくれて振舞ってくれました。

これが、徳なんだろうなって感じました。
電話を受けて、わざわざ買い物に行ってくれて、さらに帰ってからも話すのではなくお汁を作ってくれる。これがきっと、祖母の徳。

家族が祖母を慕う理由が一つ理解できた気がします。

「自己の最善を他人に尽くし切る」は、特別なことではなくてもいい。

自分が持っていて、人に渡せるもの。
自分も相手も嬉しくなる、楽しくなるもの。

僕も、大学の道は明徳を明らかにするに在りを、日常で意識していこうと思います。


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