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【さとり女子、「日記」を哲学する〜メンヘラ脱却論その①〜】

こんばんは。
就活解禁した時期に外反母趾が悪化し、スーツが着られなくなった、
るんです。

スーツが無くても、スニーカーでも、ご縁があるといいなぁ。

前回、「さとり女子」るんが、
メンヘラについて哲学しました。

今回からは、るんが「メンヘラ」をどのように捉えているかについて、
お話ししたいと思います。

今回から、
メンヘラ脱却論
について悟っていきたいと思います。

ところでるんは、メンヘラと自己肯定感は
切っても切れない関係性だと考えております。なので

これからの記事は
・メンヘラと言われて傷ついた人
・自己肯定感が低い人

にオススメです。ぜひ読んでみてね。


①「メンヘラ」と「自己肯定感」の関係性

「メンヘラ」と「自己肯定感」における、切っても切れない関係性。
そう思うのは、それは、どちらにも
「生きづらさ」
が発生していると考えているからです。

「生きづらさ」で検索すると、

んまぁ〜〜〜〜!!!!!!
沢山の!(6,550,000件)検索結果が!!
ヒットするんですよね。

ろ、ろっぴゃく、ごじゅう、ごまんけん...。

るんは、「メンヘラ」の人も、「自己肯定感が低い」人も、
生きづらさを感じているんだと思います。

つまりその発現方法は、
いわゆる「メンヘラ」の人と「自己肯定感が低い」人の違いで
異なるだけ。

根底は、同じ生きづらさを抱えているんだと考えています。

るんは、「メンヘラ」のレッテルを貼られる人は、
以下の悪循環が生じていると感じています。

【メンヘラと呼ばれる人の傾向】

生きづらさを感じている→生きづらさを消化するために行動する→その行動によって、他者から「メンヘラ」のラベリングを受ける→それに対して傷つく→生きづらさを感じる→無限ループ

一方で「自己肯定感が低い」人は、
以下の悪循環が生じていると考えています。

【自己肯定感が低い人の傾向】

生きづらさを感じている→それを隠す(隠せる)→他者の言動や、他者より劣っている点に対して傷つく→生きづらさを感じる→無限ループ

るんは、両者のケースにおいて、
2つの問題点があると考えています。

それは
①「傷つくこと」で
②「生きづらさ」を感じる

ということ。

逆に言えば
①「傷つかない」と
②「生きづらさ」を感じない=生きやすくなる

と考えています。

これはあくまで、「さとり女子」るんが哲学した傾向であり、
全ての事実が上記に当てはまる訳ではないと思っています。

でも、もしちょっとでも
「当てはまるかも?」と感じた方がいらっしゃったら、
この先も読んでいただけますと、幸いです。

また、今回は言及しませんが、
るんには「生きづらさ」と「傷つくこと」には、
正体と原因があると悟っております。

なので、次回以降、「生きづらさ」と「傷つくこと」について
哲学していきたいなぁと思っています。

②さとり女子オススメ「メンヘラ」克服法〜「幸せ日記」を書く〜

わたしは、「さとり女子・るん」
になるまで、
「メンヘラ女子・るん」でした。

メンヘラから解脱し、
さとりを開いた大きなキッカケとして
日記
の存在は欠かせないと考えています。

それも、ただの日記ではなく。

「幸せ日記」です。

「幸せ日記」のルールは、3つだけ。

** 1)自分の頑張ったコトについて書く2)相手に「ありがとう」を感じたコトについて書く3)今が辛いなら、無理に日記を書かなくて良い**

という、ちょっと変わった日記です。

この「幸せ日記」は、るんのメンヘラの元凶となった、
「生きづらさ」へのジレンマを
だいぶ解いてくれたなぁ。と悟っています。

1)自分の頑張ったコトについて書く

「メンヘラ」と言われて悩んでいる人、「自己肯定感が低い」人は、
どうしても自分のことを責めることが多いなぁと感じます。

できない自分を今後どうするか。
反省しなきゃいけないところ。などなど、

つまり「生きづらさ」を感じている人は、
自分に対して、マイナスのベクトルを向けることが、
とっても、多くないですか?

なので、日記の時間だけは。日記の内容だけは、
幸せな時間や、楽しいコトを
沢山、つめてほしいのです。

そして、自分の頑張ったコトを書くコトで、
「自分も意外と、できることあるじゃん!」
と思ってほしいのです。

また、日々で自分を否定する時間が多い分、
あえて、日記という肯定する時間を設けることで、
より客観的に、物事を把握できます。

客観性を保つ。

これが「メンヘラ女子」を解脱し、
「さとり」を得られた一歩だと考えております。

2)相手に「ありがとう」を感じたコトについて書く

自分に対して矢印が向かうと、
自分のことで精一杯になってしまいがちではないですか?

また、自分に厳しいFBをするように、
無意識に相手にも厳しい目線を向けてしまうこと、ありませんか?

うんうん。そういう時期、るんにもありました。

だからこそ、日記の時間では、

相手に矢印を向ける。
それも、
感謝の気持ちを向ける。

これが大事だと思います。

日常のどんなことでも良いです。

「お母さんが美味しいご飯を作ってくれた!」とか、
「後輩が私の仕事を手伝ってくれた!」とか、
「先輩が私の仕事を褒めてくれた!」とか。

なんでもいいんです。

それを、紙に書いて、胸に刻む。
そして、感謝の気持ちを思い出す。

このように、相手にプラスのベクトルを向けることで、
だんだんと、自分にもプラスのベクトルを向ける勇気が出てきます。

るんは、「自分(相手)=相手(自分)」だと思っています。
だから、
「自分(相手)を許すこと=相手(自分)を許すこと」
ですし、
「自分(相手)を幸せにすること=相手(自分)を幸せにすること」
だと思っています。

あんまり考えたくないですが、この理論は、
「自分(相手)を否定すること=相手(自分)を否定すること」
に繋がりますし、
「自分(相手)を不幸にすること=相手(自分)を不幸にすること」
だと悟っています。

なので、まずは相手にプラスのベクトルを向けることで、
自分にプラスのベクトルを向ける練習をすれば、

ネガティブな感情で溢れていた世界も、
だんだんと、優しい世界に変わっていくと思います。

(るんの哲学、「自分(相手)=相手(自分)論」を悟った経緯も、
またどこかで話せたらいいな。)

3)今が辛いなら、無理に日記を書かなくて良い

これが一番大事だと思います。
なぜ大事かというと、

日記を書くこと自体を、目的化して欲しくない!!!!

からです。

たとえ日記を書いて素敵な時間を作っても、
日々を過ごしていると、そりゃあ辛いことがあります。

そんな時に、
日記を書かない自分はダメなんじゃないか?
と考えてしまうと、日記にも、
自然とマイナスな言葉や、
自分を叱咤する言葉が出てきてしまうんです。

そもそも日記を書くのは
やさしい眼差しを持つことで、生きづらさを解消するため。

幸せになるためなんです。

だから、その時が辛いなら、無理に日記を書かなくていいんです。

まずは今の辛い自分を労って、発散させましょう。

そして、それでも辛いなら、
過去の日記を読み返して、
「昨日は素敵な時間を送っていたなぁ」
と、幸せだった感覚を、じんわりと、思い出してみてください。

そうすると、ちょっとは自分に
優しい言葉をかけられると思います。

何回も言います。
無理に日記は書かなくていいです。
日記を書くことを、目的にしないでほしいです。

幸せになるために、日記を書きましょ。

③日記の効用を、学術的に哲学する〜アファーメーションとは〜

今回は、

1)自分の頑張ったコトについて書く2)相手に「ありがとう」を感じたコトについて書く3)今が辛いなら、無理に日記を書かなくて良い

変わった日記=「幸せ日記」について話しました。

でもこれ、調べてみると、学術的にも意味のある行為だそうです。

メンヘラから解脱するために書いていた「幸せ日記」でしたが、
大人の方に指摘されて、
この日記の効用を、初めて知りました。

その効果とは、アファーメーションです。

"自分に対するポジティブな宣言"。これがアファーメーションの意味です。参考:https://angel-number.fun/affirmation/

アファーメーションでは、自己暗示をかけることで、
自分に対する認識や、行動を肯定し、
ポジティブなものに、変えられるそうです。

アファーメーションの存在を聞いたときに
「まんまこれやないかーい!!」
と笑っちゃいました。

つまり「幸せ日記」の効果は、学術的にも保障されています。
準備するのはノートと、ペンと、あたたかい心だけ。

簡単なので、ぜひやってみてね。

④まとめと次回記事の予告

今回は、さとり女子・るんがメンヘラの解脱を行うために用いた
「幸せ日記」についてのご紹介でした。

次の記事でも、メンヘラ脱却論について述べたいと思います。

ちなみに、「幸せ日記」を一度書いただけでは
すぐにメンヘラからは脱却できません。

るんは、1年間日記を全力で書いて、
メンヘラ煩悩から、だいぶ出家いたしました。

だから、ゆっくりでも、大丈夫。

一歩一歩、マイペースに進んでいきましょう。

今回は少し長くなってしまいましたが、
お読みいただき、ありがとうございました。

日々を、悟っていきましょう。

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