「由宇子の天秤」自主映画とエンタメとの境界線を見るような映画。日本映画の今を語れる映画なのかもしれない
いわゆる、日本映画が好きな層の評判もよく、評論家によってはベストワンなどと言っている人もいて、お客さんも東京はユーロスペース単館上映のせいもあるのだろうが、入っているようだ。今日も平日の昼間の回にしては賑わっていた。監督さんも一生懸命、パンフにサインなどしていたが、それなりに嬉しいことだろう。そして、日比谷シャンテでの公開も決まったようで、日本映画にしたら2021年を語る上では見なければ作品らしいということで、観に行く。まあ、主演の瀧内公美も嫌いではないので、それなりに期待する2時間半であった。
話は、ドキュメンタリー監督である主人公が、テレビ局の方針と食い違う中、自分の眼を大切に作品を作ろうとする。そんな中で、リアルな自分に事件が降りかかる。やっている塾を手伝う中で、生徒が妊娠してしまう。そして、その相手が父だという衝撃。「真実」と「正義」というものの脆さや、自分を守ろうとする醜い感情、人間の本性を映像の中に刻みたかったんだろうな?という作品。
まず、ドキュメンタリーというのは、演出あっての作品である。真実を語るように、演出をして、自分の意見を入れて作るものだ。だから、あまりに客観的に作ると面白くなかったりする。そう、プロレスがただの喧嘩だと成立しないのと同じ話である。だが、一般的には、この主人公のように、視聴者のウケ狙いで、描きたいものが描けないことと葛藤する。そういう意味では、とても、難しい世界だ。見終わった後に思ったことは、この映画自体が、真実か嘘かみたいな後味を残すようなものだったら、私は傑作と言っただろうなということである。
まあ、監督もそんな現場にある葛藤と、今現在のマスコミの客観性のなさ、また、ビデオが溢れる中で、何が真実かわからない世の中の惑いみたいなものを描きたかったのだろう。それは、すごくよくわかる2時間半だった。そして、自分で書いたオリジナル脚本を自分で演出して編集された作品は、まとまりの良い映像になっていると思った。だが、私的には、色々と足りないものが気になったりする。
題材的には、昔のATGが作りそうなものだが、その割には、それが独りよがりであっても、自己主張が足りないのではないか?ということ。そう、なんかまとまりすぎて粗がない感じ。もう少し、「俺はこう思うんだ!」みたいな怒号が聞こえるようなものでもよかったのではないか?そう、出演者の中で、妊娠した子供のお父さんが、すごくいい人に描かれているのだが、なんか、違うような気がした。この人、すごく重要だと思うんだけど、描き方が変?
主人公の瀧内公美の演技も、なんか物足りない。これだけ、出番が多く、心の重層構造みたいなものを演じているのに、意外に表情が一辺倒で、芝居の抑揚も足りない気がするのだ。映画全体が、一つの心理劇であるわけで、そこのところはすごく大事だと思うのだが?そう、そしてカメラワークにもメリハリがない。アップをもっと効果的にするようなことは考えなかったのか?もっと、サスペンスチックに俳優を追うべきではないか?面白みに欠ける感じ。
そして、誰もが思うだろうが、音が足りない。あえて、その方向の作品作りをしているとも思えるが、心理劇である以上、その心理を音にするべきだろう。そういうような部分は、多分に自主映画的であり、劇場公開するためのエンタメにはなっていないのだ。この辺り、最近の日本映画自体が、皆、中途半端なのだが、映画館で見せるなら、それなりのエンタメ性は保ってほしいというのが、私の映画に望むことだ。そういう意味では、この映画を褒めるということはない。
海外の映画祭で、かなり評判になったようだが、それは題材が世界的に受け入れやすいからだろう。あと、エンタメ性がない分、異質だということで評価されるのかもしれない。でも、重要なのは、日本のマーケットでどう受け入れられるか?だし、その辺り、今日の客層がどうも、そういうのが好きな人が見ている感じもあり、評価がしにくいですよね。
とにかく、見終わった後の印象は、凡庸より少し良という感じ。今風で、スマホで映像を撮ったものが皆、真実みたいな描き方だけど、決してそうではないですよね。私は、スマホで偽造したアリバイだらけの事件映画を作ったら面白いだろうなと思ったことがあるのですよ。スマホの映像=真実という描き方は、すごく危ういと思います。
あとは、役者不足もすごく感じますよね。光石研の芝居もなんか面白くないし、色々演出的には私の琴線にはひっかかりませんでした。
見終わってから「由宇子の天秤」という題名も少し凡庸に見えてきたりもしましたね。
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