「アトムの童(第9話)」勝つのはクリエイターであり、未来を創るものだという結論
先週の山﨑とオダギリが「ぷよぷよ」で対決するシーンがこの展開になる感じはした。結局は、ゲームを作るものたちが勝つ展開。そう、時代は熱いものたちに応援するという結果であり、キーマンとなっていた山崎努は、その応援者であったということだ。その山崎努の心を動かしたのが松下洸平だという流れも悪くない。二人の友情でゲームができていくという話の大団円としては、悪くない。
そんな中で、このドラマの中で敗者的に扱われる、麻生祐未や西田尚美には、全く視聴者を惹きつけるような未来が見えなかった気がする。今の役人や利権者は、未来を見据えてと言いながら、自分の利益しか考えていなというスカスカ感をここに描こうとしたのかもしれないが、もう少し歯応えが欲しかった気もする。大体、スパイに皆川猿時のような人物を雇う時点で負け戦の気もする。その、皆川は最初から銀行員という役が似合わないと思ったら、この裏切り者で長い物に巻かれるタイプの人間として配役されたんですね。実にわかりやすかった。
山﨑のプレゼンで、ゲーム人口が世界で30億人という話をスポーツの競技人口と比較する話は、もう一つ説得力がない気もしたが、そういう多くの人が楽しむテレビゲームがオリンピック種目になっても良いという話は未来に向けて面白いとは思った。ゲームはオンラインでできるわけだ。人を一つの場所に集めて競わせなくても良い。つまり、今のオリンピックのように開催地でのビジネス優先のようなものを変革させるフラグとしては面白いのだ。このグローバル社会で、世界各地で一緒に世界選手権をやり、皆で競うオリンピックにすれば良いし、その中にゲームなども入ってくれば可能性は無限大になる。もはや、今のオリンピックのシステムはただの大企業のスポンサー利権だけのものに成り下がったことが、ただただ虚しさを感じるが・・・。
そして。オリンピックなどよりも、ゲームの世界はまだまだ無限で面白いというテーマはしっかり描かれていたと思う。最後に、山﨑が、サガスのクリエイターを認めたことも実に清々しい。そう、ものつくりの本質、面白さを知っているものは世界中で繋がれるのだ。悪者は、それをコソ泥、ピンハネするようにビジネスの道具にしかできな人々だ。ある意味、オダギリはそちら側の男として描かれていたわけだが、最後にもう一つ大きなピンハネ野郎に出会い、クリエイターたちに心を寄せたという展開はなかなか良かったと思う。そして、この役はオダギリであったことで命が入ったと言っていいだろう。
ゲーム制作に関することとか、ネット産業の問題点に深く切り込んだとは言いにくい部分も多く見受けられたが、ドラマとして面白さはなかなかだった。世界の中で考えれば、日本はまだボロ屋だけどアットホームにソフビやゲームを作ろうとする「アトムの童」みたいなものなのだろう。しかし、その泥臭さとアイデアで、まだまだ世界と闘えると私は思う。そんな勇気をもらえる作品に仕上げてくれて感謝。そして、山﨑と松下の好演により、友情物語も美しく完結してくれたことに感謝。さあ、日本のエンジニア、クリエイター諸君、今が日本の底力を見せる時ですよ!
最後にジジイ三人がゲームに熱くなり、若者たちに挑戦できるのも現代だという終わらせ方はとても微笑ましかったです。