「あんのこと」確かに時代の中でこのように澱みの中から這い上がれない人はいるけどね
Amazonプライムで観る。公開から三ヶ月でストリーミングに出てしまう時代である。映画館で見たものを映画という時代でないのもわかっている。こないだまで再放送していた「オードリー」でも映画やテレビなどのコンテンツの境目はなくなっていくということを予見するセリフがあったが、もはや、スマホでも4Kが撮れる時代に、ビデオで観ることもありと私も考えるようになったということだ。
しかし、実話とはいえ、救いのない話である。この間観た「ナミビアの砂漠」もある意味、救いがないと思ったが、同じ河合優実が違う形で救いのない役をやっていた。彼女が演技者として優れているのはわかるが、こういう救いのない役をこなす人になると、後々、辛いかもしれないなと思うところもある。そういう役は河合にふればいいみたいになっていきそうに感じるからだ。まあ、受けないだろうが、これを浜辺美波あたりが演じるとなるとまた違った映画になる気はするのだが・・。でも、美波ちゃんがシャブ中でウリをやってる役などやらないよね・・。
そう、冒頭からシャブ中の河合がウリの最中のシーン。そして、警察に連れて行かれて、彼女がどういう女なのかが、刑事の佐藤二朗の口から語られていく。河合、最後までほぼ化粧っ気のない顔で演じ続ける。小学校中退で、母親から言われてウリをやり、暴力を振るわれながら生きる女の子。
ということで、シャブとかから逃れられない人々が集まる集会に佐藤が連れていく。そこに現れる週刊誌記者が稲垣吾郎。もう、ジャニーズでもないので、どんな役もやる感じが好感が持てる。彼が佐藤の役をやったらまた面白い気もする。
そして、河合は、二人のおかげで仕事を与えられ、それなりに少しまともな暮らしに戻る。シェルターマンションのおかげで母親にも会わなくて済むわけだ。だが、そこにコロナ禍がやってくるという設定。変化した生活にまた蓋がされる。考えれば、私もそこそこに影響を受けたが、生活に困る状況に陥った人は多いだろう。そんな中でオリンピックを開催したというのも、まあ馬鹿げた話である。コロナ自体やワクチンで亡くなった人も含め、コロナの被害者は本当は何人いるのだろうか?そういうことに興味もなく、頭の回らない政治家がまた主権争いをする今、日本は、本当に劣化したことを感じさせるこの映画。まあ、作り手もいろんなことを考えたのだろう。だが、救いがない日本映画は、いつの時代も辛い。
佐藤が、弱い人に対し救いながらも身体の関係を求めていたとか、そんないらない話まで出てくる。それを追うために稲垣は河合にも近づいたのだが、その彼女が最後に死んでしまうのは辛い。そう、一人の弱い娘の死はいろんなところに負のネルギーを撒き散らす。そして、そういう澱みの中にいる人間はそこから抜け出せないのだ。そして、そういう人間たちが週刊誌の餌食になるのもまた、現代の病巣の深さを感じさせる。
最後に、早見あかりの息子を無理やり育てることになるのも辛い話だが、それなりに母性本能が出たのだろう。そういう優しい心を取り戻しつつある娘が、また、振り出しに帰って、母親に精神的に痛ぶられるのは何か?まあ、この母親に問題があるのだが、こういう女は昔からよく描かれているが、日本の中にどれくらいの数いるのだろうか?ここを抉っても蛆虫しか出てこないけどね。
映画としては、悲しいだけで、実際のテーマを深く考えさせるまでには至ってない作品だと私は思った。ある意味、映画館で見ていたら、ちょっとしばらく嫌な気持ちになったと思うから、家で見るのが良かったかもしれない。そんな映画である。
河合優実の演技は、言われるまでもなく、良いわけだが、その演技を生かす作品になっていたかといえば、そうではなかった。そして、今後、コロナ禍を振り返る作品は色々出てくるとは思うが、もっと重い毒の部分を描いてほしいし、人間の自分勝手な愚かな部分を描きつつも、そこから未来が見えてくる映画を作っていただきたい。ワクチンの研究現場とか、それをビジネスとして成功したいものたちの話とか見てみたいですよね。