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「リエゾン-こどものこころ診療所-(第3話)」普通ってなんだろう?という言葉は今の時代に重く突きつけられる

山崎育三郎が最後に患者の父親に言う「普通ってなんだろう?」と。多分、この言葉がこのドラマの一番言いたいことなのだろう。人間が組織の中で暮らすにはそれ相応の技術が必要だが、それに順応できることが普通というなら、それはただの多数意見でしかない。LGBTというようなマイノリティーの気持ちに寄り添う世の中にはなってきたが、発達障害などのような子にまで優しくなっているかというと、そうではないだろう。世間の目はどちらかといえば「かわいそう」という感じ方が普通のような気がする。そんな小さなマイノリティーたちにフォーカスを与えるこのドラマは毎回、心に訴えかけるものが大きい。多くの人に見てもらいたいと思う。

今回の主役のお子さんは「ASD・自閉スペクトラム症」。所謂、他人との会話がうまくできないということなのだろう。本を読んで、知識を得ることは好きだが、それを自分から伝える方向ばかりに気がいく感じ。まあ、今の簡単な言葉で言えば「コミュ症」ということなのかもしれない。私も小さい頃コミュニケーション能力が弱く、そういう本質は大人になってもあまり変わらない。今も、一人でいる方が楽だったりもする。だから、永遠にこういう人は存在すると思ったりする。

そして、その子の成長に対し不安しかない親が黒川智花と尾上寛之。今回も親の役者は安っぽくないのが良い。そして、このドラマ、子役がその病気の姿をうまく演じている。この辺り、子役の子がすごいというよりも、演出がすごく気を使って作っている感じがする。だから、ドラマが伝えたいことが明確に伝わってくる。

子供を診る時にはまず名前を見て、親がどういう気持ちでそれをつけたかを考えるといういう話も素敵だった。今回の子供の「希」という名前が、難産で生まれたことに由来することと、スノードロップの花の花言葉に着地させるのは、原作が優れたコミックであることを感じさせる。

そう、コミック原作でないと、言語聴覚士の志田未来のゴスロリ姿は考えないと思ったりする。画的に特徴を持たせると考えればこれはアリだが、映画脚本家の発想がそこに及ぶ確率は少ない気がするからだ。しかし、彼女が学校の先生を辞めて、この仕事についている話を聴かされ、松本穂香の「なぜその格好なのですか?」という質問に「人目なんか気にせず自由になれるから」という答えは的確。そう、ここの診療所では普通でないことから全ては始まっている。だからこそ、院長が「普通ってなんだろう?」と患者の親に問いかける。色々と考えさせられた。

今回は、松本のメモをしてもメモ帳をなくすとかいう、よくある話も出てきたが、とにかくも毎回、濃厚な1時間である。金曜の深夜にやるには勿体無いドラマである。特に、今回のように支援学級に入れるべきかどうか悩んでいる親御さんも多い時期かもしれない。ドラマの最後に、親が「見学しに行ってみます」と言っていたが、そのあたりの実際もドラマにしてほしいですよね。

私自身は、そういう子も含めて全ての子供が同じ教室で学ぶのが理想だと思っています。子供の頃そういう子たちと触れ合うかどうかで人間の大きさは変わると思うからです。でも、同じ進捗で勉強が進まないという問題もわかるし、いじめの原因ができるのもわかるし、難しいですよね。まだまだ、国も当事者も話し合う機会をもっと持って未来に向けて変革することがいっぱいあるということですよね。

とにかくも、未来を託す子供たちに対し優しく強く、大人たちが接していかなくてはと考えさせられる毎週の1時間です。ありがとうございます。

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