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「舟を編む 〜私、辞書つくります〜(第4話)」"こだわる"とは悪い意味からきているが、辞書にはこだわりが多いような・・。

このドラマは、池田エライザを主役にすることで、今の若者たちに辞書作りという世界をわかりやすく説明することに成功している。そして、ファッション誌の編集をやっていた彼女が辞書作りにのめり込んでいく様子を描くことで、若者たちに自分のやりがいが見えぬところにあるかもしれないという可能性も示しているのかもしれない。

今回、柴田恭兵と岩松了と編集部員たちの会話は出てこなかったが、この老練な二人が「申し子」という言葉の話をするシーンがあった。最近はあまり言わなくなったが、「〜の申し子」という言い方は昭和の時代にはよく使われた感じがする。今で言えば、大谷翔平は「野球の申し子」であることに文句をつけるものはいまい。そして、その申し子が辞書作りというものを継承していくことが重要であり、それは何故かどこからやってくる感じがこの会話から伝わる。世の中そんなもので、その「申し子」が集ってこなければ、その世界はそこで終了なのだ。そう、その世界を残したいと思うなら、そう思う人が飛び込んでいかなければいけないし、そうでなくても、ここで描かれる池田のように、神に申しつけられたように集うものもいるのだ。最初に野田洋次郎が池田に「あなたに辞書編集は向いている」という一言を言ったことは大きいでしょうけどね。

そんな池田が、アルバイトの前田旺志郎の本棚の辞書が逆になってるのに気づき、直しておくと、前田にいつもながらに吠えられる。何故に逆かと言えば、取り出してから手順が少なく辞書が引けるからだという。納得する池田。そういう、細かいところにプロを感じさせる業界でもあるのかもしれない。

しかし、最初から前田の描かれ方はそうだが、完全に体育会系である。だからゲイなのか?そして、大学から連れてきたバイトの皆さんも同じ系列。最近の文学部関連は応援団的集団になったのかと思わせるこの描き方は必要かな?とは思うが面白い。まあ、辞書作りにはそれなりにマナーにこだわるところは必要だろう。

で、紙の担当を任された池田は、矢本悠馬と紙を作っていくスケジュールを見直す。発売までに紙を試してみる機会は2回。そこで、どういうこだわりを持って作っていくかということ。池田は辞書の匂いが辞書ごとに違うということを感じる。確かに普通の本とは違い辞書の匂いというのは独特だ。池田が饅頭の匂いがすると言ったが、そんな辞書があるのか?嗅いでみたいと思ったりした。図書館に行ってみよう!

で、今回のメインストーリーは図版の見直し。辞書には結構な図版が入っている。あくまでも語釈をわかりやすくするためのものだろうが、どの語釈に図版をつけるかというのもなかなか難しい問題だろう。とはいえ、今回は、この図版はこれでいいのか問題。一番フォーカスされたのが「河童」の絵でカッパが酒を持ってる画が適当かということ。ある意味、辞書の図版に作家性は必要ない。だから、作家が好きでそれを描いたなら必要ないということ。

で、図版を作家に依頼した向井理に聞くと「カッパパ、ルンパッパ」というCMをしゃべったためかと言う。ある意味、依頼された通りに仕事をできる絵描きさんだったのだ。そして、作家を訪ねると、もう本人は亡くなっていて、息子の戸塚純貴もイラストレーターで直してくれることに。彼に言わせると、「父親はこだわりなんて何もなく絵を描いていた人だ」と言うことで、彼が直してくれることに。

そして、直してもらい、もう一度彼の元に行くと、彼が赤ちゃんの時の写真を見せてもらう。そこにあったのは天然パーマの赤ちゃん。同じ作家の描いた赤ちゃんが皆、天パーだった問題もあったのだが、その疑問が晴れた瞬間だった。作家はある意味こだわりを見せていた。後日、その絵を見て泣く戸塚の姿はある意味、感動的。辞書作りの中にはこんな感動話も生まれるのだと私は「すごいな」の一言だった。

今回は「こだわり」と言う言葉にもこだわった回だった。「こだわりの逸品」などという使い方は近年のもので、もともと「こだわり」とは、そこしか見えていない的な悪い使い方からはじまっているという話は面白かったし、日本語の世界の深さも感じさせるところではありました。

このドラマ、とにかく、面白いです。池田の成長がわかる感じも素敵ですね。

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