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「ハウス・オブ・グッチ」経営ができない家族の行く末としては珍しくない話

簡単に言えば「グッチの家の話」ということである。家族経営がうまくいかず、ブランドを全て人手に明け渡すまでのおバカな話である。だから、映画自体に爽快感みたいなものは全くない。なんか、昔の大映映画にこういう話がよくあった気がする。レディ・ガガの役を若尾文子にして増村保造に撮らせたら結構面白くできそうな題材だ。とは言っても、私自身がそういう話はあまり好みではない。

映画自体は、さすがリドリー・スコット監督作品ということで、まとまりがある。とはいえ、159分はなかなか長い。大体1970年代から1990年代終わりまでの20~30年間の話だから大河ドラマというものでもないし、没落していく話をここまで長くしなくてもいいだろうとか思ってしまう。そして、どんどん哀れになっていく話だから、周囲のインテリアや絵画などが豪華に見えてこなかったりする。最初の方で主人公がクリムトをピカソ?と言うシーン通りの感じの映画だ。その主人公が、グッチの模造品について怒るようなシーンを差し込んでもいるので、監督的には、これはコメディーとして撮ったものなのかもしれない。そして、アル・パチーノが没落する男を演じているのも、侘しい感じ。

とはいえ、主人公を演じるレディ・ガガは圧倒的な存在感だ。それでいて、子供を産んだ時とか、化粧を落としてる姿まで晒しだし、このグッチの財産に対し執念深い女を見事に演じている。そして、彼女にある意味振り回され、捨てて、最後に復讐されるアダム・スナイパーもなかなか印象的。そして、その周囲にいるグッチの家族たちの情けない姿が滑稽にしか見えてこないから、やはりこれはコメディーなのだろうね。

最初の方で、グッチの兄弟が、日本の御殿場に店を出すかどうかの話をしているが、こう言う経営バカな外人には日本は1980年代には、こんな感じで見られていたんだなと言うことがよくわかる。そして、その日本もグッチと同じように没落していったのだから、ここで日本の話が出てくるのはなかなか辛いところ。

そんな、家族の株の奪い合いや、グッチのトップになる競争的な話なのだろうが、そこにファッションの華やかな話、ブランドのこだわり的な話はあまり出てこない。多分、監督自体がそんなところに興味もないのだろう。あくまでも、描きたいのは人間の欲望と家族の金への執着みたいなところなのだろう。そして、レディ・ガガが嫁に来たことで、経営の没落がまたまた加速していったような話だ。女の怖さと執念みたいなものが大事なブランドを壊したとも言えるわけだ。それも、家族に中にちゃんと経営できる人がいなかったと言うこと。ブランドだけは未だ多くの金を稼ぐわけで、ブランドを生み出すこととは、個人のためではないということも見えてくる。金を動かす全てのことは人類の資産でしかない。

ある意味、「家族」という単位が世の中を大きく動かす時代ではないということなのだろう。あくまでも「家族」とは癒しの空間でなければならないのでは?ということが言いたかったかどうかはわからないが、…。


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