「舟を編む 〜私、辞書つくります〜(第8話)」言葉は捕まえても飛んでいく。それを追いかけるというプロ意識
冒頭、採集カードが収まった資料室で野田洋次郎が「言葉は捕まえても飛んでいってしまう。私たちはそれを追いかけなければいけない」というようなことを言う。これが、ラストのとんでもないことにつながるとは、・・。でも、仕事ってそう言うものですよね。
今回は、ほぼ2〜3年の「大渡海」の編集の流れを1回にまとめてあるわけだが、彼らの仕事の濃縮さが十分にわかる作りで感心した。そんな中で年末年始のシーンや、池田エライザの家族に対する心の変化も読み取れたりする。そう、この辞書作りのドラマには、その仕事にあった作り手の濃縮な時間と心を表現することが非常に重要なわけだが、それが実にうまく描けている脚本だとわかる回であったと言うこと。
そんな中で、映画で主人公を演じた松田龍平がデジタル担当での出演。こういうさらりとした使い方には、、観ているほうがニヤニヤしてしまう。この出演を許諾した松田にも、この話は印象的だったと言うことか?
で、今回のラストの話にもつながる、矢本悠馬との紙作りの話。まずは、広辞苑や大辞林の競合の辞書の改版の紙を試すみたいなところは、すごく映像にしにくいところなのだが、セリフの妙で、そこから「大渡海」が目指すべきところがわかってくるというところは素晴らしいと思ったし、それを作る上での矢本の仕事に対する真摯さも気持ち良い。その裏には、明らかに池田エライザに対する恋心もあるわけだが、その恋心も、仕事を通しての出会いであり、辞書作りと同じで、長年彼女を観てきたからの思いだろう。そう言う意思がドラマの中に明確に出ている演技は、彼の演技としては今までで一番爽やかなものだったりする。「ゴールデンカムイ」の脱獄囚役も良かったが、彼の芝居がとても軽やかに感じられる今日この頃だ。
そして、その紙ができて、それに涙する池田。そして、編集部の面々が皆、満場一致で喜ぶ姿は、この仕事の結実した瞬間であり、視聴者を共に感動させられていることで、このシーンがうまくできていることはわかる。
それと異にして、柄本時生が作ってきた装丁デザインに関して、どれもいいと言う編集部の意見に憤慨する柄本。満場一致で一つのデザインを選んでほしかったようだったが、自分を責めて、やり直すという。そう、プロのデザイナーはそのくらいの気概でかからぬといけないと言うことと、柄本自身も辞書作りのエキスパートたちに感化されていると言うことだろう。こんなもの作り最高ですよね!
そして、紙ができた後で、食事の約束をする矢本と池田。そこで池田は「ちしお」と言う言葉を思い出す。そして、新しい辞書でそれを最初に引くような話の流れになった後に、その言葉が「大渡海」に載せられてないことに気づく。基本リストにも抜けていたが、採集リストには入れる指示の印が・・。つまり完全な編集ミス。
それを口に出せない池田の最後のシーン。多分、こういう現場に出くわした人は結構多いのではないか?昨今の自動車会社の不正なども、「これくらい大丈夫だ」という感じで誰かがすり抜けたことで起こっていたりすると私は思う。私も、設計者の頃、自分のミスを隠そうと心が動いたことがある。でも、ミスをミスのままにして流すことは、絶対にうまくはいかない。
と言うことは、そこでミスしたことは責められるべきではなく、ミスを発見したことが奇跡と思って心を切り替えることが、日程がなくても大事だったりするのだ。そう、直感はほぼ当たっているし、それに従って進むべきで、自分の認識で楽に生きようとすることは、決してやめたほうがいいのだ。
と言うことで、次回はとんでもない見直しを編集部全員でやることになるのだろうが、こう言うところが、仕事ドラマのクライマックスとしては相応しい気もする。できることなら、視聴者も手伝いたくなるようなシチュエーション。どう描かれるか、楽しみです。
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