長い勘違いだった「一個人」
長い勘違いだった
幼稚園から小学校
小学校から中学校と
団体行動を埋め込まれて
高校で「一個人」の良さを知った
それから一個人を貫いて
団体を避けて
団体を拒み続け
今も団体とか集団が苦痛だ
そして一個人を貫いた事への
何か引け目を気持ちの何処かに
隠してあった
結論から言うと
これまでの団体での教育は
団体行動を進めているのではなく
その団体行動にそれほど意味が無いと言う事を
知って欲しかったという教育に
今頃
気が付いてしまった
最終的に自分は「一個人」に成長できたが
一個人に成長できなかった人は
団体や集団に馴染もうとして
苦痛となり世の中は
団体や集団がいい事だと
進めているからと
無理をして暮らしてしまい
壊れる
団体や集団は「一個人」の集まりが正解なのに
明日休みたければ仮病でいい
晴れた日に休みたくなれば
休む事をすぐに決断して
一日どうやってサボろうかと
考えた方が楽しい
みんな「一個人」なんだからと
割り切ればいい
だけど、どこかで
勘違いをして「一個人」が
団体や集団ではいけない事だと
真面目に思ってしまったら
その考えから抜け出すのは
かなり難しい
実は団体や集団で同じ事をするのは
一個人になれなかった人の中でも
それほど苦ではない人がいる
それは団体や集団の怖さだ
誰かが常近くに簡単に同意や賛同を
確かめられる団体や集団は
自分の意志決定が誰かにゆだねられる
心地よい場所だ
困ったら誰かに聞けばいい
自分が知っていなくても
誰か知っている人を探せばいい
この考えは自分の成長を止める
もの凄く賢い考えだ
この考え方に近づいた人が
頼りにするのは「一個人」になった人達だ
そして「一個人」の人達は
この賢い人達に
これまでの努力を奪われてしまう
とてもセコイ人達だ
自分は「一個人」だけど
何をする時も「一個人」を貫く
困ったら自分一人で探求する
自分で見つけ出した物は
すべて自分の物になる
これが「一個人」の最高の至福だ
そしてその情報は
惜しげもなくあげる
これは「一個人」であるからこその
自信がそうさせる
セコイ生き方はセコイ
セコイ奴は
いつまでもセコク生きていればいい
そんなセコイ奴には
興味がない
これは「一個人」の考えです。