最近読んだ本 2023/9/21
ふつうの相談 (2023) 東畑開人
今回も読みやすかった。
最終的に理解するために必要な知識を端的にそのエッセンスをインストールさせてくれる。
そして本の中で示される絵と章立てを見れば本の内容がすっと思い起こされるように整理されていて、すごい。
ふつうの相談0, B, C, A がどこに位置するのか、現実社会における臨床心理学やケアをどのように位置させるか。
これから臨床心理学を深く学ぶためのロードマップとして、また心を扱うにおいて社会についての考察は不可分であり、他の学問領域の論を使って考察する、理論化する、というのはきっと必要とされているし、面白そう。
星の子(2019)今村夏子
図書館でなんとなく気になって読んでみた。
あやしい宗教に浸かった家族がこどもの視点で描かれていて、そこには怖さはあるけれど、宗教の外の人たちとの関係も含めて、とても暖かい。
他人から見たら、とんでもなく異質で気持ち悪くてかわいそうな環境、その異質が生まれた時から根付いていた子どもはどうなるのだろう。
両親は確かに宗教に金と人生をつぎ込んでいるようだが、娘への愛を放棄しておらず、むしろ家族を、人を愛するために宗教をツールとして用いているようにも見える。
不気味さと暖かさが不思議だった。
「死にたい」とつぶやく:座間9人殺害事件と親密圏の社会学 (2022) 中森弘樹
若い女性が中心に被害者となった、twitterを媒介とした座間9人殺害事件。
この事件への考察や、twitterのテキストマイニング、希死念慮を持った人たちのシェアハウス関係者へのインタビューを通して、「死にたい」というつぶやきをどう捉えるか、どう関わっていけばよいか、論が展開されていく。
家族などの伝統的なシステムでは「死にたい」に対応しきれない。
親密圏にいるからこそ「死にたい」に対処することは困難であると語られる。
確かにどんなに自分が追い詰められていても、他の人にぼそっと伝えることはあったとしても、自分の親に「死にたい」と伝えるのは想像ができない。
家族の期待を裏切るのは怖い。
そうすると行き場を失った「死にたい」は座間9人殺害事件がそうであったように、親密圏の外部へと行き先を向ける。
そこでシェアハウスが取り上げられるのは面白かった。
確かに血のつながりもなく、そう言う意味で責任や役割は薄まり、ぼそっと漏れた「死にたい」がそこに居られることもあるように思う。
紹介された事例では、少なくともその瞬間にはうまく機能している部分もあるようだった。(綱渡のようなバランスの上でかろうじで成り立っているような感じもあったが。)
ただ、希死念慮を持っている人は特に、親密圏の外部に足を踏み入れることで事件に巻き込まれるリスクが高まることは事実である。
そうすると、やはりなんとか親密圏の内部でも「死にたい」へ向き合う方法が模索され、「死にたい」を文字通りに、あえて表面でだけ捉えることが提案されるのだが、構造的な困難さを持つ親密圏での対応は、その難しさが強調される。
社会学の視点での希死念慮の考察、twitterにおけるテキストマイニングの方法など、方法論としてもおもしろかった。
「死にたい」に現場で向き合う 自殺予防の最前線 (2021) 松本俊彦編
多様な15の現場で、希死念慮とどう向き合っているかを当事者の目線で語られる。
どのようにして自死を防ぐのか、そしてそれでも防ぎきれないこと、もしくは苦しみながら生きていくことに、どのように寄り添っていくのか。
事例ごとにフィールドも、元になる理論も工夫の仕方も異なるが、根本のことろでひと対ひとのやりとりであり、『「死にたい」とつぶやく』でもあったが、「死にたい」を消すことを目的とすると、「死にたい」と言動する人たちとのコミュニケーションが切れてしまうかもしれない。
援助者としては、まずは「死にたい」と伝えてくれてありがとう、と現状を受け止め、いかに繋がりを継続できるかというのが大きいのだと思う。
以上