古典100選(33)仁勢物語
今日は、平安時代初期に成立したとされている『伊勢物語』のパロディである『仁勢物語』を紹介しよう。
「伊」を「仁」に替えただけでなく、書き出しの「むかし」を「をかし」に替えるなど、まさに「ニセ物語」らしい書きぶりに思わず笑ってしまう。
すごいのは、これを『伊勢物語』のすべての段のお話で作り替えたところである。
興味がある方は、比較しながら読んでみるとおもしろいだろう。
ここでは、本シリーズの第10回で解説した伊勢物語第5段のパロディ作品を紹介する。
①をかし、をとこありけり。
②名人の碁打ちへ、石直されに行きけり。
③大身なる所なれば、度々もえ打たで藁苞(わらづと)などに、文やり、朔日・節供に通ひけり。
④人より下手にもあらねど、負け重なりければ、 主、その相手に夜毎に、上手を付けて打せければ、打てどえ勝たで、手も直らざりけり。
⑤さてよめる。
⑥一つ二つ 我が手直らぬ ものならば
宵々碁をば 打ちもしなゝん
とよめりければ、いと優しかりけるあるじ、 ゆるしてけり。
以上である。
いかがだろうか。これを下記の伊勢物語第5段と照らし合わせてみると、ほぼ書き方が同じであることに気づくだろう。
①むかし、をとこありけり。
②ひむがしの五条わたりに、いと忍びていきけり。
③みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。
④人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじきゝつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、いけどえ逢はで帰りけり。⑤さてよめる。
⑥人知れぬ わが通ひ路の 関守は
宵々ごとに うちも寝なゝむ
とよめりければ、いといたう心やみけり。
⑦あるじゆるしてけり。
⑧二条の后にしのびてまゐりけるを、世の聞えありければ、兄人(せうと)たちのまもらせ給ひけるとぞ。
「あるじゆるしてけり」で最後は合わせて終わっている。もともと伊勢物語の最後の⑧は、種明かし的な意味合いがあるので、そこまで仁勢物語では合わせる必要はないわけである。
仁勢物語の「あるじ」は、男の師匠にあたり、男が碁がうまくなりたいと思って、師匠のもとへ通うのだが、その師匠がいつも男の碁の相手をするわけではない。
男はそれほど碁が下手くそなわけではないのだが、師匠がいたずら心で、男より碁が上手い人ばかりを対戦相手に選ぶので、いくら頑張っても負けてばかりで、碁を学ぶにも勝ち方がなかなか身につかない。
だから男は歌を詠み、「(私の)碁の(悪い)指し手が一つ二つも直らないのであれば、毎晩毎晩(=宵々)碁を指しに行くであろうか、いや行かないだろう。」と思いを吐露したわけである。
こうして、師匠は男にしっかりと碁を指導するようになった。
しかし、パロディ作品とはいえ、秀逸である。
歌で言うならば、嘉門達夫の替え歌を思い出す。
わらじは はいた事がない たわしがないと こすれない 目医者じゃないのよ 歯医者はハッハー
『飾りじゃないのよ涙は』(中森明菜)
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