法の下に生きる人間〈第45日〉
昨日の記事で、『くそくらえ節』の歌詞を紹介したが、9番の歌詞の「小説家」は、誰だかピンときただろうか。
今は亡き石原慎太郎である。オトウトは、石原裕次郎のことである。
この歌が発表された年に、石原慎太郎氏は、初めて参議院議員選挙に立候補して当選した。
また、作家としては、1955年に一橋大学法学部在学中に、文學界新人賞を受賞、翌年には芥川賞も受賞した。デビュー作は、『太陽の季節』である。
石原慎太郎氏もまた、著作の中で、当時の世相を鋭くえぐる文章表現をした。映画化もされた。
2000年以降では、東京都知事を4期近く務め、国防に危機感を抱いて、東京都として尖閣諸島の購入計画を発表したときは、国内外に衝撃を与えた。結果的に、政府(=当時は民主党の野田政権)が国有化したことでこの件は落着した。
石原慎太郎氏は、昨年、89才でこの世を去ったが、年齢からも分かるように、1940年代の戦時中は、小中学生だった。
軍国主義教育を受けた国民の一人である。
石原慎太郎氏だけではない。
今の90代の人たちは、みな戦争経験者であり、田舎で長生きしている人もいれば、老人ホームに入っている人もいる。
また、シンガーソングライターの岡林信康氏は、70代後半であるが、戦後生まれである。
つまり、現在の日本国憲法のもとで、平和主義の教育を受けた世代である。
だが、『くそくらえ節』の歌詞からも分かるように、戦後もベトナム戦争が起こったりするなど、高度経済成長の中でもさまざまな問題が起こっていた。
今だってそうである。
こういった状況の中で、表立って世相を斬る人が少なくなったような気がする。
SNSで誰かをたたくのとは、ちょっと違う。
日本社会はこのままでいいのか?という若者が、もっともっと出てきてほしいのだ。
岡林信康が『くそくらえ節』を発表したのは、22才のときだった。
戦時中は、『海ゆかば』に代表されるように、国家側が国威発揚のために、歌で国民教育を盛り上げていった。古代の純粋な和歌だった『君が代』は、戦争に利用されたのである。
だが、戦争が終わってからは、国民の側が、歌で時の国家や政府を皮肉った。
高度経済成長の波とともに、テレビなどの家電が流通し、シンガーソングライターの歌はたちまちお茶の間でテレビを通して広まった。
学校教育とは別の場で、国民の娯楽が生まれ、今の70代は、フォークソングやニューミュージックの黎明期を知る世代となった。
日本国憲法第21条が保障する「表現の自由」と、第23条が保障する「学問の自由」が、国民の間で広く浸透した一方で、国家権力との軋轢も生じた。
次回は、10月23日である。
戦後の日米安保闘争と教育について触れることにしよう。