20世紀の歴史と文学(1973年)
一九九九の年、七の月、空から恐怖の大王が降ってくる。アンゴルモワの大王を復活させるために、その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗りだすだろう。
こんな訳文を書いた五島勉(ごとう・べん)が『ノストラダムスの大予言』を刊行したのが、1973年の11月のことだった。
もともと1555年(=日本は戦国時代)に、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』としてフランスの医師であり占星術師でもあったノストラダムスが書いた本を、五島勉がノストラダムスの伝記も交えて訳したものである。
ちょうど日本では、10月に第4次中東戦争によるオイル・ショックが起きたばかりで、トイレットペーパーや洗剤などの買い占めをして人々は将来への不安を抱いていたところだった。
また、3月には、熊本地裁が水俣病訴訟においてチッソ水俣工場の廃液が水俣病の原因だということを認め、公害問題に対する関心も高まっていた。
政府は、資源エネルギー庁を7月に設置し、石油危機(=オイル・ショック)を踏まえた原子力政策の推進を図った。
こういった国内事情が背景にあって、『ノストラダムスの大予言』は、250万部を超える大ベストセラーとなり、翌年には同名タイトルの特撮映画も作られた。
興味深いのは、この特撮映画が当時の文部省の推薦映画だったことである。
出演した俳優陣は、当時50才だった丹波哲郎(=2006年逝去)、今もご健在の黒沢年男、由美かおる(=当時は23才)らであった。
実際に、1999年7月に人類は滅亡するのかと、私は子ども心に心配になり、世紀末が近づくにつれて覚悟を決めて生きていたように思う。
結局は何事も起こらなかったから良かったが、この『ノストラダムスの大予言』が注目されてから、日本では宗教団体の活動が増えていった。
ちょうど平安時代末期(=1000年頃)に、末法思想が広まり、当時の人々が極楽浄土への往生を求めて、阿弥陀仏に救いを求めるべく念仏を唱えるのと似たような心理状態だったのだろう。
一方で、長く続いたベトナム戦争が終わり、和平協定が結ばれた年でもあった。
奇しくも、週刊少年ジャンプにて、中沢啓治による『はだしのゲン』の連載も始まった。
ご存じの人も多いが、『はだしのゲン』は広島の原爆をテーマにした漫画である。
あの山口百恵が、14才で歌手デビューしたのも同じ1973年のことだった。
デビュー曲のタイトルは『としごろ』であった。
花の中3トリオの一人であり、森昌子と桜田淳子も、オーディション番組『スター誕生!』で注目を浴びたのである。