1001日目からの健康論⑧
今までの人生で、何の不自由もなく生きてきた人が、ある日突然メンタル不調に陥ることがある。
例えば、仕事に一生懸命で自分の時間を持つことより「仕事命」だった人、あるいは仕事で多忙を極めていた人が、ある日思いがけず自分の時間ができたとき、ふっと自分の人生を見つめてしまう。
そのとき、「私は何のために生きているのだろう」と思い、「仕事がなかったら、私は何をして生きていくのだろう。」と考えてしまう。
子育てに追われていた人は、子どもがひとり立ちしたとき、特に母親は、心にポッカリ穴が開いたような、空虚感に襲われることがある。
なぜ、そうなるのか?
子育てを通して子どもと一緒に過ごすことや、多忙ながらも仕事に励むことが、その人にとって唯一の生き甲斐だったからである。
つまり、自分から仕事や子どもを取ったら、何も残らない人である。
心が健康な人は、子育てや仕事以外に、自分の趣味や好きなことに、忙しい中でもリフレッシュしながら取り組んでいる。
そのことがストレス発散につながったり、もうひとつの生き甲斐になったりしているのだ。
私は、シーズンごとにマラソン大会に出るし、週末はいつもピアノやヴァイオリンを弾いている。平日の夜もバレーボールで汗を流すなどしているし、たくさんの生き甲斐を感じているから、どれかひとつが欠けてもまだ残りがある。
ただし、交通事故に遭ったり、転倒したりして指や足を骨折すると、それらの生き甲斐は一気になくなる。
だからこそ、私は、歩きスマホなんて絶対にやるものではないと思っているし、あわてて走らずに早歩きで事を急ぐようにするわけである。
そのおかげで、生まれてから一度も、骨折したことなどない。「骨折の痛みなんて分からないでしょ〜。」とイヤミを言われるが、気にしない。
逆に、「それ、私に骨折しろって言ってます?」と言い返してもいいくらい、メンタルには自信がある。
とにかく、何かを失っても私にはこれがあるから大丈夫だというものを、たくさん揃えておいたほうが人生は得なのである。
勝ち組だと思っていても、いつ転落するか分からない。そのための保険を、自分自身にかけておく。ズバリそれは、お金ではなく「取り柄」なのだ。