現代版・徒然草【39】(第164段・世間話)

次の土曜日は、私がnoteを始めて丸3年となる日なので、本シリーズは休みである。

いつも読んでいただき、サンキューということで、偶然にも第39回。来週日曜は、4月末日で第40回となり、並行して届けている小国の宿命シリーズとそろって、キリのいい数字で終われている。

さて、SNSやメール、家庭の電話さえなかった時代は、同居していなければ、他人との会話は外を出歩かなければできなかった。

そんな時代に、兼好法師が感じていたことは何だったのだろうか。

では、原文を読んでみよう。

①世の人相(あい)逢ふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。
②必ず言葉あり。
③その事を聞くに、多くは無益(むやく)の談なり。
④世間の浮説、人の是非、自他のために、失(しつ)多く、得少(すくな)し。
⑤これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。

以上である。

誰か顔見知りの人と会えば、よほどのことがない限り、挨拶やちょっとした会話は生まれる。

「今日は暖かいですね」など、交わされる言葉がある。

それを①②の文で言っていることは、お分かりだろう。

ただ、③の文で触れているように、その多くは役に立たない(意味のない)話だというのである。

④の文では、世間話やうわさ、誰かさんの評価(良いことも悪いことも)、自分や他人にとってマイナスになることが多く、得することは少ないという。

そして、最後の⑤の文では、お互いに無益のことだと自覚がないままに話をしているのだと締めくくっている。

まあ、たしかにそうかもしれないが、誰と話しているかにもよるだろう。

例えば、頭がいい人同士であれば、交わされる言葉を聞けば、ハイレベルなビジネス会話であったり、子育てに関わるママ友同士なら、多少の愚痴や悪口は聞かれても、子育てのノウハウが詰まっていることもある。

一方で、現代に生きる私たちは、人と会ってゆっくり時間をつぶせる機会がものすごく少なくなってきたのも事実である。

一人になる時間の確保は、さらに難しくなった。そんな状況下で交わされる会話には、多少の愚痴や悪口があったとしても、「心のカタルシス」(=浄化作用)という点では、良い効果もあるのである。


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