【続編】歴史をたどるー小国の宿命(44)

鎖国政策を取るということは、すなわち他国と貿易をしないことを意味する。

現代では、考えられないことである。

ここのところ、戦国時代から「戦」の話ばかりしてきた。

今日は、なぜ戦が必要なのか、鎖国政策が現代では考えられないのはなぜなのかの2点について、改めて考えてみよう。

私たちは、平和を希求するという良心に従って、戦をしないわけである。だが、もし他国が攻めてきたら、戦をせずに降伏するだろうか。

鎌倉時代は、モンゴル帝国から元軍が襲来してきて、日本は二度、相手国と戦った。これは自国を守るための当然の戦いだった。

ところが、秀吉の時代は、秀吉個人の野望もあったが、小田原征伐に協力した武士たちへの見返りとして土地が必要だったから、もっと領土を広げようと、中国征服を目指したわけである。

そうしないと、いつかは束になってかかってこられて、自分が権力の座から落ちてしまうからだ。

今の時代は、労働の対価として給料が現金で支給される。私たちは、そのお金で生活ができる。

また、農業や漁業、畜産業、その他自営業に従事する人は、生産品の売買で生活資金を得ている。投資で稼ぐ人もいる。

ただ、飲食業や旅館業を営む人のように、サラリーマンたちが日常的に飲食したり買い物したりする消費行動に応えるためには、魚肉や野菜などの食材が必要である。

その食材を、昔は、自国内の取引で入手していたわけである。

今は、どうだろうか。

牛肉をはじめ、ほとんどが外国産であり、畜産業を営む人が必要としている飼料でさえ、外国からの輸入に頼っている。パンなどの原料となる小麦もそうである。

それを考えると、今の時代に鎖国したら、私たちが食べるものは、国内で生産されるものに限られ、しかも生産量が少ないから、価格は高騰する。少ないパイを大勢で奪い合うことになるのである。

アフリカの貧しい国がそうであり、だからこそ、紛争が起こるのである。

江戸幕府は、家光の時代から、ペリーが黒船で来航するまで、200年以上も鎖国政策を続けていた。

それでも、なんとか庶民が生きてこれた(もちろん、飢饉は幾度も発生している)のは、今から思えば、すごいことなのである。



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