古典100選(75)百人一首一夕話

NHKの大河ドラマ『光る君へ』も、最終回まで1ヶ月ほどである。(12月15日)

今日は、江戸時代に尾崎雅嘉(まさよし)という国学者が書いた『百人一首一夕話(ひとよがたり)』という作品を紹介しよう。

百人一首の解説書なのだが、この中に藤原実方(さねかた)と藤原行成(ゆきなり)、一条天皇が登場する。

藤原行成は、あの清少納言と気の置けない親しい間柄だったという。

藤原実方は、「かくとだに  えやはいぶきの  さしもぐさ  さしもしらじな  もゆるおもひを」の歌を詠んだ人である。

では、原文を読んでみよう。

①実方朝臣(さねかたのあそん)、叔父済時(なりとき)の養子となりて一条帝に仕へ、歌詠みの名、高かりしが、ある年の春、殿上の男ども花見むとて東山の辺りへ行かれけるに、にはかに心なき雨の降り出でければ、人々騒ぎあへるに、実方の中将、木のもとに立ち寄りて、 

桜狩り    雨は降り来ぬ    同じくは
濡るとも花の    蔭に宿らむ

と詠みて、梢(こずえ)洩り来る雨にさながら濡れて、装束もしぼるばかりになりたるよしを聞き伝へて、このこと、興あることに人々思ひあはれけるに、またの日、斉信(ただのぶ)大納言、「かかるおもしろきことの侍りし」と主上へ奏聞(そうもん)せられけるに、その折しも行成(ゆきなり)卿御前におはしけるが、「歌はおもしろし。実方のふるまひこそ、をこがましけれ」と言はれけり。

②この言葉を実方洩(も)り聞きて、それより行成卿に深く恨みを含まれけるが、その後、殿上においてふと行成卿と争ひ論ぜらるることありしに、先の憤りをや心に含まれけむ、行成卿の冠を笏(しゃく)にて打ち落とし、小庭に投げ捨てられたり。

③この時、行成卿は少しも恐れる気色(けしき)なくて、主殿寮(とのもりづかさ)を召して、「冠取りて参れ」とて、冠して、守り刀より笄(こうがい)抜き取りて鬢(びん)つくろひて居直り、「いかなることにて候ふやらむ。たちまちにかうほどの乱冠にあづかるべきことこそ、心におぼえ侍らね。その子細を承りて後のことにも侍らむものを」と、ことうるはしく言はれければ、実方は言葉しらけて逃げられけり。

④その折しも、半蔀(はじとみ)のかなたより、主上始終を御覧ありて、「行成はいみじき者なり。かくまでおとなしき心あらむ者とは思はざりけり」と賞美し給ひて、その頃、蔵人の官のあきたりけるに、多くの人を越えて行成卿を蔵人になされ、実方は中将の官を召し上げられ、「歌枕見て参れ」とて陸奥(みちのく)につかはされけるが、一旦の不礼を咎めさせ給へれど、もとより才(ざえ)ある人なりければ、あはれませ給ひ、奥州へ行かるる時、殿上へ召され、御酒(みき)など賜はり、位を一階進めてつかはされし。

以上である。

読んで分かると思うが、江戸時代の人が書いた作品は、やはり現代に時代が近いこともあって、非常に読みやすい。

藤原行成は、三蹟(さんせき)の一人として、有名な書道の達人である。

実方がつい感情を抑えられなくて、行成の冠をたたき落としても、落ち着いた態度で対応したということは、人間性も素晴らしかったのだろう。

『百人一首一夕話』は、岩波文庫で上下巻が売られている。

文庫の厚みもあって少々お高いが、興味がある人は、買ってみると良いだろう。

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