現代版・徒然草【13】(第77段・人柄①)
今日からは、「人柄」をテーマに、連日紹介していきたい。
このような人は、現代でも嫌われるのだろう。兼好法師も、不快に思っていたようである。
では、「このような人」とは?
原文は、以下のとおりである。
世の中に、その比(ころ)、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内(あない)知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる聖(ひじり)法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。
以上、2文だけでまとめられている。前半と後半の意味が、それぞれつかみにくい人もいるかと思うので、解説しよう。
「もてあつかひぐさに言ひ合へる事」というのは、いわゆる噂話である。
「いろふべきにはあらぬ人」というのは、関係があるとはいえない人(その分野に精通しているわけではない人)のことだが、その人が、なぜかよく知っていて、人々に語り聞かせたり、どう思うかと尋ねたりするのは、受容できることではないと言っている。
後半の文にいこう。
特に、片田舎に住んでいるお坊さんが、「世の人の上」(=世間の人の身の上話)を我が事のように尋ね聞いて、「いかでかばかりは知りけん」(=どうやってそんなことまで知り得たのか)と思うほどに言いふらしているのは、感心しない。
まあ、いわゆる、おしゃべりさんのことである。
なんでも自分が情報を持っていたい、特に、人がなかなか知り得ないことまで探って、優越感に浸りたい。
そういう人は、今の時代でも嫌われる。
常に、肝に銘じておきたいものである。