20世紀の歴史と文学(1991年)

1991年のちょうど今ぐらいの時期に、ソビエト連邦は崩壊目前だった。

正式には、12月26日だった。

クリスマスの翌日が、ソ連崩壊の日になろうとは、当時誰が予想できただろうか。

ソ連の一部だったヨーロッパ各国が独立宣言を次々と行い、もはや支配体制の維持を図るのは困難だと悟ったのだろう。ゴルバチョフは、大統領を辞任した。

勘違いしている人もいると思うが、ソ連崩壊は、ゴルバチョフが初代ロシア連邦大統領に就任したエリツィンらによって追い込まれたことで起こった。

そもそも、ソビエト連邦の構成圏内には、今で言えば、①ロシア、②ベラルーシ、③ウクライナ、④モルドバ、⑤カザフスタン、⑥ウズベキスタン、⑦キルギス、⑧トルクメニスタン、⑨タジキスタン、⑩ジョージア(=グルジア)、⑪アゼルバイジャン、⑫アルメニア、⑬エストニア、⑭ラトビア、⑮リトアニアの15ヶ国があった。

これら15ヶ国のうち、先に独立宣言をしたバルト三国以外の12ヶ国によって、独立国家共同体(=略称CIS)が結成され、ソビエト連邦の崩壊が目論まれたのである。

この独立国家共同体を代表していた当時のソビエト社会主義共和国が、今のロシアとウクライナとベラルーシで、エリツィンは当時のロシア共和国(=ソビエト社会主義共和国の一部)の大統領を1991年の7月から務めていた。

同じくウクライナ共和国と白ロシア共和国(=今のベラルーシ)のトップもエリツィンと協調して、ソ連からの離脱と独立国家共同体の結成について合意したのである。

この合意は、ソ連崩壊の18日前の12月8日に、今のベラルーシのベロヴェーシの森で開催された秘密会議によってなされたので、「ベロヴェーシ合意」と呼ばれている。

ウクライナ侵攻をめぐって、プーチン大統領とベラルーシの大統領がなぜニュースに出てくるのかよく分からない人もいると思うが、ソ連崩壊直前だった当時、この3国は協調していたのである。

そして、ウクライナは、当時、自国こそがソビエト連邦全体の後継国だと宣言していたのだが、最終的にエリツィンが初代ロシア連邦の大統領になったことにより、ソビエト連邦(=旧ソ連)はロシア連邦と呼ばれることになった。

もしウクライナの主張が通っていたら、ロシア連邦ではなくウクライナ連邦だった可能性があった。

ではなぜ、今ウクライナがロシアと対立しているのかというと、ウクライナの領土内に、親ロシア感情の強い地域があり、それがクリミアだったりドネツクだったりするわけで、ここ数年間の争いの火種になっている。

ウクライナからすれば主権侵害なのだが、独立国家共同体という括りで捉える人からすれば、同じ仲間ではないかという見方もできる。

こうした複雑な事情があることを知っておかないと、私たちは間違った解釈をしてしまう恐れがある。

もとは、ソ連共産党が出発点だということを忘れてはいけないのである。

1917年のロシア革命と、1991年のソ連崩壊は、共通しているところもある。

歴史を詳しく知ろうとせずに、今の状況を語ってはいけない。

過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。

ヴァイツゼッカーの言葉の意味が、よく分かるだろうか。



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