一を聞いて十を知る【巻一⑥】
今日は、先週の記事で予告したとおり、孔子・顔回・子貢・公冶長の4人のプロフィールの紹介の最後になるが、公冶長のお話をしよう。
すでに自主的に調べた方もいると思うが、公冶長については、生没年も含めてプロフィールはほとんど分かっていない。
ただ、『論語』の第五篇として「公冶長篇」というのがあるくらいだから、少なくとも孔子の弟子として知られていたことは間違いないだろう。
第五篇の冒頭で、公冶長のことが次のように書かれている。
子謂公冶長、可妻也。
雖在縲絏之中、非其罪也。
以其子妻之。
子、公冶長を謂う、妻(めあわ)すべきなり。
縲絏(るいせつ)の中に在りと雖(いえど)も、其の罪に非(あら)ざるなりと。
其の子(こ)を以て之に妻(めあわ)す。
以上である。
上記の文章の「めあわす」というのは、結婚させるという意味である。
そして、「縲絏(るいせつ)」というのは、今で言うならば刑務所のことである。
公冶長は、何らかの罪に問われて刑務所に入っていたのだが、孔子にとってそれは何の罪でもなく、自分の娘を公冶長と結婚させたのである。
では、何らかの罪とは、何だったのか。
あるとき、公冶長は、鳥が「清渓に行って死人の肉をついばもう」と鳴き合っているのを耳にする。(鳥の会話が理解できたそうである)
息子の消息が分からず、嘆き悲しむ老婆がいたので、公冶長はその鳥たちの会話を伝えたのだが、その死人はおまえが殺したのではないのかと疑われてしまい、投獄されてしまったのである。
投獄されて2ヶ月が経ったとき、雀の子たちの会話を、今度は獄中で耳にする。
雀たちは、「水辺で荷車がひっくり返り、牛の角も折れ、黍や粟がこぼれている。(その黍や粟を)ついばみに行こう」と会話していたのである。
この会話を、公冶長は本当に理解できたので、看守に伝えて、現場を調べに行ってもらったところ、本当にそうだったので、無罪放免となった。
鳥の会話が理解できるという才能があったのはすごいことだが、公冶長のことが書かれているのは、実は、『論語』ではここだけなのである。
公冶長の罪の内容について、出典はどこか知りたい人は、『論語義疏(ぎそ)』を調べてみると良いだろう。
『論語義疏』というのは、『論語』の注釈書のことであり、日本にも遣隋使もしくは遣唐使によって、6〜7世紀ごろに写本が伝わったといわれている。
第五篇(=公冶長篇)と第十一篇(=先進篇)について、今日までいろいろ触れてきた。
土日に時間的余裕がある人は、ぜひ発展的な学習に自主的に取り組んでもらえるとうれしい。
来週は、本シリーズの巻一が完結する。
引き続きお楽しみください。