現代版・徒然草【25】(第62段・娘から父へ)
今日も、父娘のお話である。今度は、娘が幼い頃の出来事である。
原文を読む前に、「いときなくおはしましける」というのは、「幼くていらっしゃる」という意味で、皇女に対する敬語であることをおさえておきたい。
その皇女が、大人になって「延政門院」という名で余生を過ごしていたのだが、1332年に74才で亡くなった。
鎌倉幕府が後醍醐天皇によって倒される1年前のことである。兼好法師は、このとき50才であり、延政門院よりふたまわりも年下だった。
延政門院が亡くなったときに、兼好法師が人から聞いた話が、下記の原文である。
では、読んでみよう。
延政門院(えんせいもんいん)、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言(おこと)つてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字、牛の角(つの)文字、直(す)ぐな文字、歪(ゆが)み文字とぞ君は覚ゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
以上である。
延政門院が幼くていらっしゃるときに、(父がいる)院(=御所)に参内する人へ、ことづてとして詠んだ和歌がある。
ふたつ文字、牛のつの文字、直ぐな文字というのは、五七五で見事に詠まれているが、ふたつ文字は「こ」、牛のつの文字は「い」、直ぐな文字は「し」の平仮名を指している。
そして、「歪み文字とぞ君は覚ゆる」も、七七の音でピッタリ詠まれているが、歪み文字とは「く」の平仮名を指している。
「君」というのは、昔は天皇のことをいうのだが、「院」という言葉が文中にあるように、ここでは上皇のことになる。
では、延政門院の父親は誰かというと、後嵯峨上皇であり、1246年まで第88代天皇を務めてから、引き続き院政を執り行っている。
延政門院は1259年に生まれており、後嵯峨上皇は1272年に52才で亡くなった。
ここから推測するに、1260年代に、ある程度読み書きができるようになったときに父親に贈った和歌であろう。
和歌を改めてつなげて読むと、「こいしく」上皇のことを思うという意味になり、原文の最後の一文につながる。
本当は、「こいしく」ではなく、「こひしく」になるのだが、まだ幼くて「ひ」と「い」の区別ができていなかったのか、それとも謎掛けの都合上そうしたのかは不明である。
ほのぼの心温まる思い出話である。