唱歌の架け橋(第12回)
北原白秋が作詞して、山田耕筰が作曲したのは『この道』だけではない。
『待ちぼうけ』という歌も、2人の作品である。
【1番】
待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと 野良稼ぎ
そこにウサギがとんで出て
ころりころげた 木の根っこ
【2番】
待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝て待とうか
待てば獲物が駆けてくる
ウサギぶつかれ 木の根っこ
【3番】
待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日鍬(くわ)取り 畑仕事
今日は頬づえ 日向(ひなた)ぼこ
うまい切り株 木の根っこ
【4番】
待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日は今日はで 待ちぼうけ
明日は明日はで 森の外
ウサギ待ち待ち 木の根っこ
【5番】
待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい きび畑
いまは荒野(あれの)の箒草(ほうきぐさ)
寒い北風 木の根っこ
以上である。
『待ちぼうけ』という歌は、1924年(=大正13年)に発表されたので、『この道』よりは3年早い。
また、満洲国において音楽教育の際に、中国の故事である「守株待兔」(しゅしゅたいと)をもとにした歌が採用されたのである。
20世紀シリーズを読んでいただいている方はご存じだと思うが、日本が中国大陸に建国した満州国には、現地の中国人のみならず、日本から移り住んだ日本人の家族の子どもも学校に通っていた。
音楽は、国家が国民に対して情操教育を行いやすいという理由から、しばしば戦時中の愛国心高揚などに利用された。軍歌が良い例である。
中国の故事である「守株待兔」というのは、文字どおり「株を守りて兔を待つ」と読むのだが、これは「ラクして獲物を得ること」や「古いしきたりにとらわれていること」を意味する。
つまり、たまたま切り株にウサギが誤って突進してぶつかり死んだので、労せずして(食い物として)ウサギを得られたことを経験した百姓が、次も同じようにウサギをゲットできると期待して待っていたが、2回目以降はサッパリぶつかってこない。
そうした状況をうまく言い表した故事が「守株待兔」であり、北原白秋は、それをヒントに歌詞を作ったわけである。
『この道』がゆったりとしたテンポであるのに対して、『待ちぼうけ』はリズミカルにほどよく速いテンポで歌う感じである。
この『待ちぼうけ』の歌を子どもに理解させるのは、少なくとも現代の子どもたちには難しいだろう。
この歌を歌わせるくらいなら、ラクしてお金を得られることなどないのだという教訓を、どこかで別の機会に学ばせたほうが早いだろう。
それと、保守的な考え方をするのは、今の時代には合わないことを教え、常にそのときそのときの時代に合わせて柔軟に適応しながら生きていく必要性も学ばせたほうが良いだろう。
子どもだけでなく、古い考え方にとらわれすぎている「いい歳したオッサン」も、この歌を聞いて少しは考え方を改めてほしいものである。