古典100選(68)国歌八論
昨日の記事で登場した賀茂真淵と同時代に生きた国学者がもう一人いるので、今日はその人の作品を紹介しよう。
1742年に、荷田在満(かだのありまろ)が書いた『国歌八論』である。国歌とは、文字どおり日本の和歌のことをいうが、八論とは、「歌源・翫歌・択詞・避詞・正過・官家・古学・準則」のことである。
ここでは、八論の詳細には触れないが、要は、和歌の本質や歴史について、荷田在満の考えが歌論書としてまとめられたものである。
では、原文を読んでみよう。
①それ歌は、詞(ことば)を長うして、心をやるものなり。
②しかるを、「心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出だせるなり」とのみ言ひては、いまだ尽くさず。
③『古事記』『日本紀』等に見えたる伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)の「あなにやし えをとこを」「あなにやし えをとめを」と唱へ給へるは、心に思ふことを言ひ出だせるなり。
④されど、これをば「のたまふ」と言ひて、「歌」と言はざるは、ただ唱へ給へるのみなればなり。
⑤須佐之男命(すさのをみこと)の「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」とのたまひしも、同じく心に思ふことを言ひ出だせるなれど、これをばまさしく「歌」と言へるは、謡ひ給へるなればなるべし。
⑥また、あぢしき高日子根(たかひこね)の神の妹、高姫(たかひめ)の命の「天なるや おとたなばたの うながせる 玉のみすまる みすまるに あな玉はや み谷ふた渡らす あぢしき高日子根の 神ぞや」と言へる歌も、高日子根の神の名をその時ありあふ人に表はさんとて、歌詠みたると見えたり。
⑦これも謡はざれば、ありあふ人の聞くべきにあらず。
⑧されば、謡ひたること、知るべし。
⑨唐国の歌を見るに、また同じくしかり。
⑩撃壌(げきじゃう)の歌は、確かなる書(ふみ)にも出でざれば、しばらく措きて論ぜず。
⑪『尚書』の益稷(えきしょく)にある帝舜・皐陶(こうとう)の歌ぞ、六経の中にて初めて見えたる歌にして、すなはち謡ひ給へるなることは、益稷の文にて明らかなり。
⑫げに謡はざれば心をやるべからず。
⑬謡ふには、詞を長うすべし。
⑭しかれば、わが国も唐国も、歌は謡ふものにこそありけれ。
⑮謡はんとて作るものなれば、世の常の詞とは全くは同じかるべからず。
⑯一句の文字の数も、必ずしも定まるべからざれど、おほむね五言・七言をたたむこと、唐国の昔の歌のおほむね四字を以て一句とするに同じく、謡ふ声の長短のほど良からんがためなり。
⑰しかるに、高姫の命の歌の末は、六書・九言・十言・四言などの句なれば、句の長短等しからずして、「八雲立つ」の歌、およびその外の神代にある歌よりも劣りて聞こゆ。
⑱されば、『古事記』にも『日本紀』にも、これを「ひなぶり」といへり。
⑲また、火々出見(ほほでみ)の尊(みこと)に至りては、豊玉姫(とよたまびめ)と贈答の歌あり。
⑳贈答なれば、謡ふにはあらずといはん。
㉑されど、この時世の贈答は、後世、男女相聞(そうもん)に歌を書きて相贈るたぐひにはあるべからず。
㉒おのおの心をやらんために歌を作りて謡ひ、その謡ふところを思ふ人に贈り示すなるべし。
㉓謡はずしてただ贈らんには、常の詞を用ゐてその言はんとすることをば尽くし、その言ふに及ばぬ詞をば加ふべからず。
㉔「白玉の君が」と言ひ、「沖つ鳥(どり)鴨」とのたまへるをもて思ふに、その作るところは、謡はんとて作りたるものとこそ見ゆれ。
㉕これより外、『古事記』『日本紀』等に見えたる歌ども、皆これ謡ふところなるべし。
㉖その中、あるいは句の長短等しきあり、あるいは等しからざるあり。
㉗等しき中にも、語路(ごろ)のよろしからずして口に滞るあり。
㉘等しからざる中にも、句調の整ほりて口に滞らざるあり。
㉙この時世は詞花(しか)言葉を翫(もてあそ)ぶ時にあらざれば、よく風情・景色を摸したる歌はなし。
㉚もし歌の優劣を論せば、長短等しうして句調整ひたるを優とし、長短等しからずして語路滞りたるを劣とすべけれど、その優劣を論ずることも見えず。
㉛ただその口に出づるにまかせて謡ひたるを伝へたると見えたり。
以上である。
お分かりのように、古事記や日本書紀が書かれた時代にさかのぼって、和歌の本質がこの作品では説かれている。
古事記や日本書紀は、712年・720年に成立している。私たちがちょうど1000年前の源氏物語に興味を持っているように、荷田在満も、まさしく1000年前の古事記や日本書紀に注目していたわけである。
今や歌というのは、江戸時代には考えもしなかったスタイルに変わっており、毎日のようにテレビやラジオ、ユーチューブなどで流れている。
しかし、私たちもただ現代の潮流に身を任せているだけではなく、古来の歌の原型についても知り、七五調や押韻(=韻を踏む)などの特色を再認識することも必要である。