現代版・徒然草【37】(第146段・人相占い)
今日は、平安時代末期の源平合戦の時期のお話である。
文中に登場する明雲(めいうん)座主は、大僧正という最高位の僧侶だった人であり、天台宗のお坊さんだった。
この明雲座主は、今の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺で生活しており、この人が大僧正に任じられた翌年(1183年)は、平氏一族が源氏に追われ、都落ちして西国に逃れた年であった。
そして、あの有名な木曾義仲(=源義仲)が石川県の倶利伽羅峠の戦いから西進していたところである。
そんなときに、明雲座主は、人相占い師に自分の将来を占ってもらったのである。では、原文を読んでみよう。
①明雲(めいうん)座主、相者(そうじゃ)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖(ひょうじょう)の難やある」と尋ね給ひければ、相人(そうにん)、「まことに、その相おはします」と申す。
②「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ、これ、既に、その危ぶみの兆しなり」と申しけり。
③果して、矢に当りて失せ給ひにけり。
以上である。
①の文で、占い師に会って、「兵杖の難(=武器にやられること)」があるかと尋ねたわけだが、占い師は「ある」と答えた。
それを聞いて、明雲座主は、②の文で、具体的にどんな災難かと聞くのだが、占い師は、「日頃、戦いとは無縁のあなたが、仮にもそのことを予期して尋ねる事自体が、すでに身の危険の兆候だ。」と答えた。
そして、最後の③の文に書かれているとおり、明雲座主は、木曾義仲軍の流れ矢に不運にも当たってしまい、落馬する。落馬したところを、首を斬られて絶命したのである。
実は、明雲座主は、平家側の人間であり、周りの平氏一族が西国へ逃れる中で、延暦寺にとどまっていたのである。
なぜ流れ矢が当たるようなところへ馬に乗って外出していたのかは知らないが、おとなしく寺にこもっているか、平氏一族に同行していれば、命は助かったかもしれない。
だから、占い師は、大僧正という最高位の僧侶が、なぜそんなことを聞くのか不思議だったであろう。
今も昔も、どこの国においても、最高権力者は、守られる立場にあるというのに。