現代版・徒然草【42】(第207段・蛇の祟り)
今の時代に、蛇を見れば、蛇が苦手な人はギャーギャー騒ぐし、苦手とまではいかなくとも、毒ヘビかどうかの確認をして、むやみに刺激を与えないようにはするだろう。
兼好法師が生きた鎌倉時代は、どうだったであろうか。
今日のお話は、1250年代半ばの出来事であり、兼好法師が生まれる前のことである。だから、兼好法師が人から聞いた話になる。
文中には、当時の後嵯峨上皇と、太政大臣だった徳大寺実基(とくだいじさねもと)が登場する。
では、原文を読んでみよう。
①亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。
②「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人(みなびと)申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神(きじん)は邪(よこしま)なし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してけり。
③さらに祟りなかりけり。
以上である。
①の文から分かるように、亀山殿(=上皇の御所)を建てようとして地割をするときに、大きな蛇が無数に凝り集まっている蛇塚があった。
②では、その状況を「(蛇が)この土地の神である」と上皇に伝えたところ、後嵯峨上皇は、「どうしたらいいのだ?」と逆に質問されたという。
その場に居合わせた皆が言うには、「古くからこの地に棲み着いているので、さうなく(=左右なく=むげに)蛇塚を掘り捨てるのは難しい」とのことだった。
しかし、当時の太政大臣だった徳大寺実基が言うには、「もともと天皇の土地にいる虫(=ヘビ)が、皇居を建てるのに、何の祟りを起こそうというのだ。鬼神(=天地万物の霊魂)は、道理に反したことはしない。気にするな。ただ、掘り捨てれば良い。」とのことだった。
そこで、塚を崩して、(今の嵐山や渡月橋上流にあたる)大井川に、蛇を流したという。
その結果、③の文では、祟りは起こらなかったそうである。
徳大寺実基は、法律の知識が豊富であり、現実的な判断を下すことのできる人だったようである。
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