【最終回】唱歌の架け橋(第30回)
本シリーズ最終回は、日本の歌百選にも選ばれている中田章作曲の『早春賦』(そうしゅんふ)で締めくくろう。
すでに触れたとおり、中田章は、中田喜直の父親である。
この『早春賦』は、大正2年(=1913年)に発表されたのだが、中田章が27才のときだった。
このとき、中田喜直はまだ生まれていなかったが、実は、中田章は1931年に中田喜直が8才だったとき、45才の若さで亡くなっている。
【1番】
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
【2番】
氷融け去り 葦は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
【3番】
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
以上である。
この歌詞の情景は、長野県安曇野市の立春の頃の様子である。
1番の歌詞にもあるように、春といっても名ばかりで、まだ風が冷たいわけで、ウグイスも鳴くにはまだ早いと声を立てていない。
2番では、川辺の氷が融けて、葦が芽吹く頃になっても、まだまだ空は雪模様だという。
そして、3番では、立春と聞いてもこのような状況だから、知らないほうが良かったのにとか、気持ちが急き立てられるだけだとかいうもどかしい思いが歌詞に表れている。
この歌は、昔は、小学校6年生の音楽の授業で歌われていたのだが、だんだん中学校2〜3年生で歌われるようになった。
私が子どもの頃は学校で教えられた記憶はないのだが、私の祖父母世代は、歳をとってもほとんど歌詞を覚えていて口ずさめていた。(祖父母が生きていた頃の話)
中田喜直の『めだかの学校』と違って、歌詞の繰り返し部分は、実は異なる旋律である。
人によっては音程を取るのが難しいかもしれないが、歌詞の素晴らしさと相俟って、この歌はしみじみとした気分にさせてくれる。
ぜひとも後世に歌い継がれていってほしいものだ。
30回という短いシリーズではあったが、これまでお読みいただき、ありがとうございました。
他の唱歌にもぜひ触れていただけるとありがたいです。