20世紀の歴史と文学(1999年)
学校教育が20世紀末に大きな転換期を迎えたことは、昨日の記事でも分かっていただけたと思うが、もうひとつ重要な出来事があった。
それが、国旗国歌法(=正式には「国旗及び国歌に関する法律」)の成立である。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
上記のようなたった2条のシンプルな法律が、1999年8月に成立した。
実は、この年の2月に、広島県立世羅高等学校の校長が、卒業式の前日に自殺したことが大きな話題になっていた。
世羅高校といえば、陸上で強いことで有名な学校である。
校長の自殺の原因は、学校の儀式での日章旗掲揚と国歌斉唱をめぐって、教職員の反対や文部省の通達との板挟みに遭っていたことである。
この法律がもう少し早く成立していたら、世羅高校の校長の自殺もなかったのかもしれないと思うと、なんとも痛ましい事件である。
今ではオリンピックで、日本の選手はふつうに国旗を見つめながら国歌を歌うし、私たちも当たり前のように受け止めている(人が多いと思う)。
だが、教育現場では、日本国憲法で定めている思想・良心の自由を侵害するものだとして、教職員が君が代斉唱時に起立をせず歌わないということが当時はよくあった。
いったいいつからこんな議論が出てきたのかと思う人もいるだろうが、これは昭和天皇が崩御されて、平成の時代になってからである。
平成の時代は、こういった国旗・国歌をめぐる論争が裁判沙汰にもなり、最高裁にまで訴訟が展開されたが、教職員側の敗訴がほとんどだった。
君が代を歌わないという人は、まずは『君が代』の歌詞の由来から理解できているのか、自分に問い直してほしい。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の
巌(いわお)となりて 苔のむすまで
この歌詞は、五七五七七の和歌である。(「さざれ石の」が字余りになっているが)
そして、古典100選シリーズでも取り上げた『古今和歌集』に掲載された詠み人知らずの和歌である。
「君」は、天皇のことを指して詠まれたのではない。ふつうに「あなた」もしくは身近な人のことを指している。
身近な人の長寿を願って詠まれた歌が、1000年以上の年月を経て、日本人共通の国歌として歌われているという見方に立てば、かつての軍国主義における天皇崇拝など、今の時代には関係のない話になってくる。
しかも、国歌とする法的根拠がなかった明治時代に『君が代』が学校で歌われるようになったときは、天皇による国づくりが長らく続いてきたことを踏まえて、「国家平安」を日本人として願おうという気持ちのほうが大きかった。
こういったことを学校の先生は子どもに教える役割を担っているはずなのに、自分の信条を公教育の場で子どもに押し付けることは、国家公務員の立場としてどうなのかという話なのである。
事実を正確に伝え、子どもに考えさせる。子どもは、大人も含めていろいろな考えがあることを知り、その上で自分の立ち位置を決める。
それが、日本国憲法で保障されている「思想・良心の自由」の本当の意味なのである。
【第19条】思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
以上