古典100選(91)去来抄

これまでは、和歌がほとんどだったが、本シリーズも残すところ10回となったので、俳句が取り上げられている作品も紹介しよう。

松尾芭蕉の弟子として有名な向井去来(むかい・きょらい)の『去来抄』である。1702年ごろに成立した、徳川綱吉の時代の作品である。

この『去来抄』には、芭蕉の弟子だった人物が向井去来以外にも登場する。それぞれ【A】濱田洒堂(はまだ・しゃどう)、【B】江左尚白(えさ・しょうはく)、【C】野沢凡兆(のざわ・ぼんちょう)である。

では、原文を読んでみよう。

【A∶岩鼻や    ここにもひとり    月の客】
①先師(せんし)上洛の時、去来曰く「洒堂(しゃどう)はこの句を『月の猿』と申し侍れど、予は『客』まさりなんと申す。いかが侍るや。」
②先師曰く「『猿』とは何事ぞ。汝(なんじ)、この句をいかに思ひて作(さく)せるや。」
③去来曰く「明月に乗じ山野吟歩(ぎんぽ)し侍るに、岩頭(がんとう)また一人の騒客を見付けたる。」と申す。
④先師曰く「『ここにもひとり月の客』と、己(おのれ)と名乗り出づらんこそ、幾ばくの風流ならん。ただ自称の句となすべし。この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける。」となん。
⑤予が趣向は、なほ二三等も下り侍りなん。
⑥先師の意を以て見れば、少し狂者の感もあるにや。
⑦退(しりぞ)いて考ふるに、自称の句となして見れば、狂者の様も浮かみて、はじめの句の趣向にまされる事、十倍せり。
⑧まことに作者、その心を知らざりけり。

【B∶行く春を    近江の人と    惜しみけり】
①先師曰く「尚白が難に、『近江は丹波にも、行く春は行く年にもふるべし。』と言へり。汝、いかが聞き侍るや。」 
②去来曰く「尚白が難、あたらず。湖水朦朧として春を惜しむにたよりあるべし。ことに今日の上に侍る。」 と申す。 
③先師曰く「しかり。古人もこの国に春を愛すること、をさをさ都に劣らざるものを。」 
④去来曰く「この一言心に徹す。行く年近江にゐ給はば、いかでかこの感ましまさん。行く春丹波にいまさば、もとよりこの情浮かぶまじ。風光の人を感動せしぶること、まことなるかな。」 と申す。 
⑤先師曰く「汝(なんじ)は、去来、ともに風雅を語るべき者なり。」 と、ことさらに喜び給ひけり。

【C∶下京や    雪つむ上の    夜の雨】
①この句、はじめに冠なし。
②先師とはじめいろいろと置き侍りて、この冠にきはめ給ふ。
③凡兆(ぼんちょう)「あ。」 と答へて、いまだ落ち着かず。
④先師曰く「兆、汝(なんじ)手柄にこの冠を置くべし。もしまさるものあらば、我ふたたび俳諧を言ふべからず。」 となり。
⑤去来曰く「この五文字のよきことは、たれたれも知り侍れど、このほかにあるまじとはいかでか知り侍らん。このこと、他門の人聞き侍らば、腹いたくいくつも冠置かるべし。そのよしと置かるるものは、またこなたにはをかしかりなんと思い侍るなり。」

以上である。

ABCのいずれも、去来は芭蕉先生のことを持ち上げて、賞賛していることが分かるだろう。

向井去来や濱田洒堂は、芭蕉が病に倒れたときもそばにいたと言われているが、江左尚白や野沢凡兆は、考え方の相違から後に芭蕉と対立して蕉門派を離脱したという。

ただ、洒堂も尚白も凡兆も医者だった。

旅に随行していたときは、芭蕉にとっても心強い存在だっただろう。

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