20世紀の歴史と文学(1967年)
昨日は、歴史の裏で人生が変わって苦しむ人の存在に触れた。
1967年も、国内外でそれぞれ大きな出来事があった。
まず、国外では、第3次中東戦争が勃発した。今も戦闘状態に終わりが見えないイスラエルとアラブ諸国同士の争いである。
この時代以前に生を受けていない私たちは、今のイスラエルとハマスの戦争を、一面的な見方でとやかく言ってはいけない。
もちろん、人命尊重の観点で非難することは間違いではないが、イスラエルとアラブ諸国の歴史は、世界史をしっかりと学んだ人ならご存じだと思うが、非常に長い。
宗教上の対立や民族間の紛争など、私たちのいる日本ではほとんど起こり得ないことが、日常的に起こっていて、白黒つけられる問題ではない。
だから、本シリーズでは、あえて解説しない。第1次中東戦争や第2次中東戦争のことを知りたい場合は、個人で調べていただけるとありがたい。
さて、日本も高度経済成長の裏で、苦しむ人が少なからずいた。
1967年は、「四日市ぜんそく」という四大公害病の一つであるぜんそくの患者による集団訴訟が初めて行われた。
三重県四日市市を中心に、1960年頃から発生していたが、多くの人が気管支炎や肝障害を起こし、亡くなった人もいる。
石油化学工場から出る煤煙にふくまれる亜硫酸ガスによる空気の汚れが原因だったのだが、同じような公害病は、神奈川県川崎市や兵庫県尼崎市などでも発生していた。
ついでに、他の3つの公害病(=水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病)についても、解説しておこう。
水俣病は、熊本県水俣市の地名からきているが、すでに1953年に発生していた。
水俣湾の魚や貝を食べていた漁民や周辺の人々に手足や口のしびれる症状が出て、亡くなった人も多い。
原因は、付近の工場廃液に含まれるメチル水銀が魚や貝に蓄積し、それを習慣的に食べていた人が水銀の蓄積によって発病したわけである。
新潟水俣病は、新潟県の阿賀野川流域で、東京オリンピックがあった1964年頃から起きた公害病で、第2水俣病とも呼ばれている。原因も、メチル水銀で同じである。
イタイイタイ病は、富山県の神通川(じんつうがわ)流域で、1940年頃の第二次世界大戦のときから発生していた公害病である。
特に、子どもを出産した女性に多く発症し、手足の骨がもろくなり、激しい痛みが伴うことから、イタイイタイ病と呼ばれた。
これは、鉱山廃液に含まれるカドミウムが原因だった。
こうした人たちが、本来なら苦しまずに済んだ人生をめちゃくちゃにされたこと、そして、本人だけでなく、その家族も苦しんだということは、私たちにとっても他人事ではない。
ようやく、国はこれらの環境問題に本腰を入れるようになり、1967年8月3日、公害対策基本法が公布され、同日に施行された。
ビートルズ来日の翌年、こういった行政の動きがあったことを覚えてほしい。