古典100選(23)更科紀行

本シリーズの第12回で取り上げた『大和物語』にある、信州の姨捨が舞台となったお話を紹介したが、今日は、そこへ向かう旅日記である『更科紀行』について解説しよう。

知る人ぞ知る、芭蕉の紀行文である。芭蕉が奥の細道の旅に出かける1年前の出来事であり、当時、芭蕉は45才だった。

旅好きな人なら、以下の原文を読んで、芭蕉に感情移入できるのではないだろうか。

では、どうぞ。(訳さずともだいたいの状況は読み取れるだろう)

①更科の里、姨捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹き騒ぎて、ともに風雲の情を狂はすもの、また一人越人(えつじん)と言ふ。
②木曽路は山深く道さがしく、旅寝の力も心もとなしと、荷兮子(かけいし)が奴僕(ぬぼく)をして送らす。
③おのおの心ざし尽すといへども、駅旅のこと心得ぬさまにて、ともにおぼつかなく、ものごとのしどろに後先なるも、なかなかにをかしきことのみ多し。 
④何々といふ所にて、六十ばかりの道心の僧、おもしろげもをかしげもあらず、ただむつむつとしたるが、腰たはむまで物負ひ、息はせはしく、足は刻むやうにあゆみ来たれるを、伴ひける人のあはれがりて、おのおの肩に掛けたる物ども、かの僧のおひね物とひとつにからみて馬に付けて、我をその上に乗す。
⑤高山奇峰、頭の上におほひ重なりて、左は大河流れ、岸下の千尋(せんじん)の思ひをなし、尺地(せきち)も平らかならざれば、鞍の上、静かならず、ただ危ふき煩ひのみやむ時なし。
⑥桟橋、寝覚など過ぎて、猿が馬場、立峠などは四十八曲りとかや。
⑦九折(つづらをり)重なりて雲路にたどる心地せらる。
⑧歩行(かち)より行く者さへ、眼くるめき魂しぼみて、足定まらざりけるに、かの連れたる奴僕いとも恐るるけしき見えず、馬の上にてただ眠りに眠りて、落ちぬべきことあまた度(たび)なりけるを、後より見上げて危ふきことかぎりなし。
⑨仏の御心に衆生の憂き世を見給ふもかかることにやと、無常迅速の忙はしさも我身に顧みられて、阿波の鳴戸は波風もなかりけり。 
⑩夜は草の枕を求めて、昼のうち思ひまうけたる景色、結び捨てたる発句など、矢立(やたて)取出て、灯(ともしび)の下に目をとぢ頭たたきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心憂くてもの思ひするにやと推量し、我を慰めんとす。
⑪若き時拝み巡りたる地、阿弥陀の尊とき、数を尽し、おのがあやしと思ひしことども話し続くるぞ、風情のさはりとなりて何を言ひ出づることもせず。
⑫とてもまぎれたる月影の、壁の破れより木の間隠れに射し入て、引板(ひた)の音、鹿追ふ声、所々に聞こえける、まことに悲しき秋の心、ここに尽せり。
⑬「いでや月のあるじに酒振るまはん」と言へば、杯持ち出でたり。
⑭世の常にひとめぐりも大きに見えて、ふつつかなる蒔絵をしたり。
⑮都の人はかかるものは風情なしとて、手にも触れざりけるに、思ひもかけぬ興に入りて、青碗玉巵(せいわんぎょくし)の心地せらるも所柄なり。

⑯あの中に    蒔絵書きたし    宿の月    芭蕉

以上である。

旅の道中は、芭蕉一行も大変だったことがうかがえるが、やはり夜に眺める月は、昔の人も心を癒やされたのだろう。

「蒔絵書きたし」と詠んだ俳句は、現代の私たちからみてもロマンが感じられる。

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