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明徳発輝〜わたしの心願〜【二】

田中良雄さんという方の詩

自分のパズルピースを模索した結果

2年前に勤め人を辞めたときの事は、
(自分の中での解釈が
 少なくとも二面に分かれる経験なのですが)
「自分が持ちうる全力で仕事に徹した結果、
 自分の形が、この職場では合わないとわかった」
という経験として、私の自負にもなっていました。

当時の自己イメージは、

・人の役に立つことに意欲的
・成長欲、学習欲が強い
・動いていないと死ぬ
・周りにもちゃんと感謝できている
・頭は良くないが、分を弁えている
・素直さが取り柄

みたいな感じでした。

だから、活かす場所さえ見つかれば、
またガムシャラに頑張れるという期待があった。

それが、クリエイターズアカデミーで
自分の人生ムービーをつくっていくうちに
それまで目を背けていたネガティブ感情と
向き合うことになり、突き進むことができなくなった。

足止めを喰らっているような感覚の中
それでも何かしなくては、という焦りがあったので
カウンセリングを受けたり、
コーチングのモニターをさせてもらったり、
人生ムービーをつくろうとしたり、
ネットで情報収集をしたりしていました。

そこで、カウンセラーさんのメルマガをきっかけに
「おてつたび」の存在を知ります。

やってみようと思ったにのは、
自分が憧れた「在り方」ができるのではという期待もあったんです。

一燈を照らす品格を備えた者が地方に下れば、
その行く先々で周囲を照らす。
その徳に土地の者がなびいて、だんだん集まってくる。
集まってくるところには建物もいるから、そこにお寺ができる。
伝教大師(最澄)はこういう精神で坊さんを育てたんです。
全国に天台宗、比叡山の流れができていったのは、こうした
一隅を照らす人々がそれぞれの地方に下っていったからです。
だから、無理をして金を集めて寺を建てたのではないんです。
人格に惹かれて人が自然に寄ってくるというのです。

伊輿田覚『「大学」を味読する 己を修め人を治める道』

それまで、会社という人の集まる場所に8年ほど勤め、
人間関係の中でいくつかのドラマを経験したことで
それまでの「修行」に対して、節目のような感覚もあったんです。
大学生の時に憧れた、
「片隅を照らす」心構えは、できていると思った。

…これは間抜けな話なんですが、
勤め人でいることに力尽きても
過去頑張っていた自分像が手放せないままだったんですよね。

度胸だけで飛び込んだおてつたびの結果、
過去の自己イメージを
今の自分に適用することが難しいと気づきました。

変容する自己イメージ


連続で回ったおてつたびを一言で題すると、
「逆・邯鄲かんたんの夢」といったところです。

「ばりばり働くぞ」と意気込んで行って、
自分がまるでぽんこつの分野に飛び込んでしまったこと、
そして
自分がつい最近まで
人間不信をわずらって社会から退いていたことを
現地で気づいた一件目の旅館業。

一件目の衝撃を引きずりながら、
コミュニケーションを嫌うよそ者として
針のむしろの上を過ごした
二件目のこれまた旅館業。

二件を経てすっかり意気消沈した私を
「ファンになってもらうのが目的ですから」
と、手厚く迎えてくださった
三件目の接客業…。

元・仕事人間としては
仕事を失い窓際に追いやられていくサラリーマンの人生を
追体験しているような感覚で

とりあえず意地で
「新鮮で楽しかった」としましたが、
内心は
悔しいやら情けないやら腹立たしいやら申し訳ないやら

いろんな感情がないまぜになって
複雑極まる状態でした。

ガッツで仕事を獲りにいくなんてできる状態じゃないのに
無理くり行った結果、
必要な場面で、必要な動きができない
っていう…

情けないことこの上なし。

ただ、この時改めて感じ取ったのは、
世の中の仕事を「なんでも欲しがる」時期は
もう過ぎた
んだということです。
…私自身が。

おてつたびをする中で
自分がHSPの可能性に気づいたということもありますが

任せられたことを遂行できない人間が、
その仕事に携わっていること自体
その職場にとって危うい状態なんだよな、と思ったんです。

私が「私の在り方でこそできる仕事をする」
ということの重要性を改めて感じました。

→「自分の仕事が欲しい」





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流記屋
知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。