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平家のみやび 「紺紙金字無量義経」

とても美しい紺紙金字の無量義経。
東京国立博物館で見つけました。

紺紙金字無量義経(平基親願経)
東京国立博物館


治承2年(1178)に平基親が発願した経で、舞を奉納する童が愛らしい。
衣装の色もとてもスタイリッシュ。

十種供養のうちの「伎楽」を奉納する童子

十種供養とは『法華経』法師品で説かれる十種の供養。
華・香・瓔珞(ようらく)・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・伎楽の10種類をもって、仏を供養すること。

東京国立博物館 本館 総合展にて
2023.1.7 撮影


濃紺に金。ネイビーにゴールド。
この配色に、この差し色。
素材も文字も絵も豪奢で洗練されていて、
とってもお洒落でかっこいいスタイリング。


このお経の巻物を発願(プロデュース)した平基親(たいらのもとちか)は清盛の継室の平時子側の系譜の桓武平氏の人。

何年か前の大河ドラマ『清盛』で、深田恭子が演じる時子が松山ケンイチが演じる清盛に源氏物語の話をしたり、清盛のことを「ひかる君」とか言っていたけど、平家のキラキラは、この血筋だったようです。



「平(たいら)」という姓を賜った氏族「平氏」の中で、桓武天皇の血を引く流れには二つあります。

桓武天皇の皇子、葛原親王(かずらわらしんのう)の子の代から分かれ、一方は東国で武士となってゆき、一方は京の中流貴族として存続します。

葛原親王の第三子の高見王の子である高望王(たかもちおう)は上総介に任官され自ら任地へ赴任してゆきます。そしてそのことが発端となって東国での武士団を形成してゆき、ここから平将門や平清盛などへと繋がってゆきます。伊豆に居た北条時政、義時もこの流れの一つです。

一方、葛原親王の長男の高棟王(たかむねおう)は文官として出世し最終的には大納言となります。子孫は代々受領を務める中級貴族として存続し、清盛の継室となった時子(二位尼、徳子の母)や後白河天皇の女御として寵愛を受けた滋子(建春門院、高倉天皇母)はこの血筋です。

その二つの桓武平氏の流れが、200年以上の時を隔て、清盛と時子の結婚によって再び合流したのですね。

平氏略系図 旺文社『古語辞典』より



ところで、この『無量義経』って、聞いたことのないお経ですが、調べてみたら『法華経』で語られる長い長い話のプロローグにあたるお経でした。

「無量」というのは「量るが無い」、すなわち「はかりしれない」こと。それは「大きすぎて」だったり、「無さすぎて」だったり。

冒頭で「私はこんな風に聞いているんです」と前置きして、「一時、仏(ぶっだ)は王城である「耆闍崛山」の中に住んでいた。」から壮大なお話が始まります。

紺紙金字無量義経(平基親願経)
「無量義経 徳行品第一」のはじめ

無量義経 徳行品第一
如是我聞。一時仏在王舍城耆闍崛山中。與
大比丘衆万二千人倶。菩薩摩訶薩八万人。
天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦樓羅。緊那羅。摩
睺羅伽。諸比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷倶。
大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。国
王王子国臣国民。国士国女国大長者。各與
眷屬百千万数而自圍遶。来詣仏所頭面禮
足遶百千匝。焼香散華種種供養。供養仏已退一面
坐。其菩薩名曰文殊師利法王子。大威徳藏
法王子。無憂藏法王子。・・


無量義経 徳行品第一 冒頭
*日蓮大聖人『御書』解説より引用
(改行の位置は「平基親願経」に合わせました)

是の如きを我聞きき。
一時、仏、王舎城、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩八万人あり。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅迦あり、諸の比丘、比丘尼及び優婆塞、優婆夷も倶なりき。大転輪王、小転輪王、金輪、銀輪、諸輪の王、国王、王子、国臣、国民、国士、国女、国大長者、各眷属百千万数にして自ら囲遶せると与に、仏の所に来詣して頭面に足を礼し、遶(めぐ)ること百千帀(ひゃくせんそう)して、香を焼き華を散じ、種種に供養すること已って、退いて一面に坐す。其の菩薩の名を、文殊師利法王子、大威徳蔵法王子、無憂蔵法王子、大弁蔵法王子、・・

無量義経 徳行品第一 冒頭(訓読み)
*日蓮大聖人『御書』解説より引用



紺紙金字無量義経(平基親願経)
「無量義経 徳行品第一」の中盤

この辺りには、いろんな「非ず」がでてきます。
段組みになっているところの5行目からは

其身非有亦非無  非因非縁非自他
非方非圓非短長  非出非没非生滅
非造非起非為作  非坐非臥非行住
非動非轉非閑靜  非進非退非安危
非是非非非得失  非彼非此非去来
非青非黄非赤白  非紅非紫種種色

其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず 
方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 
造に非ず起に非ず為作に非ず 坐に非ず臥に非ず行住に非ず 
動に非ず転に非ず閑静に非ず 進に非ず退に非ず安危に非ず 
是に非ず非に非ず得失に非ず 彼に非ず此に非ず去来に非ず 
青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず戒 

身体は有るでもなく無くでもなく
因でもなく縁でもなく、かといって自他でもない
方でもなく円でもなく、かといって短長でもない
出るでなく没でなく、かといって生滅でもない
造るでなく起でなく、かといって作為でもない
・・・

とにかく、定まるところが無い「無常」。

12世紀から13世紀にかけて、平氏から源氏へ、貴族から武士へと世がうつって行った頃は「末法」の時代。(日本では伝統的に1052年(永承7年)に末法に入ったとされた)

そうしたことも影響していたのか、こういった(なんだかよくわからないけれど、とにかくなんでもありかもしれない)モノの見方が広く拡まって行った頃だったのかもしれません。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし

『方丈記』 冒頭 鴨長明
1212年(建暦2年)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

『平家物語』 冒頭


『法華経』には女人でも往生ができると説かれていて、法華経にでてくる西方の極楽浄土の阿弥陀如来は、皆が心惹かれる憧れの存在。
そして当時、そんな阿弥陀さまのお話をしてくれる法然は女性にとても人気がありました。浄土宗の開祖となった法然。東博の同じ会場には、法然上人の絵巻(撮影禁止)も展示されていて、法然が女性に囲まれて話をしている場面もありました。

* 「阿弥陀」とは「無量寿」「無量光」という梵語の音訳


そしてこちらは、鎌倉時代につくられた無量義経の巻物

紺紙金字無量義経
(鎌倉時代)
東京国立博物館 本館 総合展


平基親の発願したものと同じく紺紙に金字ですが、法華経にでてくる場面を描いています。

釈迦説法図
説法をする釈迦のもと、船で彼岸へゆく人


どちらも、とても綺麗。

だけど
仏に救ってもらうより、仏を楽しませるほう。

やっぱりこちらの方が好き。

紺紙金字無量義経(平基親願経)
東京国立博物館


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