東京が快晴となった平日の昼に、空路で福岡へ行きました。
1000kmを1時間50分で空を移動する旅は、日本列島の西半分をダイジェストで見るようで、真昼の太陽の光をうけて金や銀や白金に輝く海や湖や川や池が、本当に貴い宝のようでした。
東京から福岡への飛行機に乗ったことはこれまでも何度かありますが、青春18切符や新幹線で通ったことのある土地や、幼い頃から馴染みのある場所を鳥の目になって見れることが、こんなにも心が震えることだなんて、ほとんど気がついていませんでした。
人間の夢であった「空を飛ぶ乗り物」は近代になって実現しましたが、日本には古代から「飛行の神さま」もちゃんといらっしゃって、記紀に登場しています。
この「天磐船に乗りて飛び降る者」と呼ばれた饒速日命(にぎはやひのみこと)は、磐余彦(いわれひこ:神武天皇)よりも先に奈良盆地のヤマトに居ました。
彼が奈良盆地の北西の山に天磐船から降り立ち、初めてヤマトを上空から目にした時に
と、日本書紀にあります。
他にも、この箇所には、神武天皇をはじめ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、大己貴大神(おほあなむちのおほかみ)、そして饒速日命が、日本のことを形容して「こんな国だ」と言ったことが書かれています。
■神武天皇のコメント
■伊弉諾尊(いざなぎのみこと)のコメント
■大己貴大神(おほあなむちのおほかみ)のコメント
■饒速日命(にぎはやひのみこと)のコメント
こうしてみると、神武天皇と大己貴命(大国主命)と饒速日命は、山に囲まれた穏やかな空間が広がる奈良盆地の様子を語っているようですが、ただひとり伊弉諾尊(いざなぎのみこと)だけは、海の様子のようです。
伊弉諾尊は淡路島の伊弉諾神宮に祀られていますので、そうしたこともつながっているのかもしれません。
そして、饒速日命が天磐船に乗って来た。ということは、饒速日命も海の人なのでしょう。古代にあっては「船」が「鳥」でした。
船を数える「隻(せき)」という単位は、古代では鳥を数える時にも使われていましたし、「天」も「海」も「あま」と呼ばれます。
そういえば、「人が櫂で船を漕ぐ姿」は「鳥が羽ばたく姿」に似ていて、穏やかな夕暮れ時には空と海が一つになりますし、日が昇るときには光が眩しくて空も海もわからなくなります。そんな時にはきっと、海をゆく船が鳥に見えたことでしょう。
さて、私が乗った飛行機が離陸してぐんぐん雲の上までゆくと、地上の天気に関係なく、そこは常に晴れ間が広がっている世界。
さながら「常世」のようです。
大阪の海の春の景色は本当に夢のようで、それは1000年前から同じでした。
この武庫川の右手の河口近くには甲子園球場。そして、六甲山の山裾の東端には廣田神社があって、天照大神の荒御魂である「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」が祀られています。
もしかしたら向津媛の「向う」から「むこ」なのかもしれません。
こうしてみると、神戸空港と関西空港は向かい合っていてとても近いです。
そして、ちゃんと船が往き来していますので、麗らかな春の日には30分のクルージングを楽しめそうです。
福岡空港がある板付には、弥生初期の水田の跡を伝える板付遺跡があります。小高い山に囲まれて、いく筋もの水の流れも穏やかで、ここが稲作に適した場所だということを改めて想像しました。
そして博多湾を臨むこの福岡平野一帯は、志賀島で発見された金印や魏志倭人伝に名が記される「奴国」があったところ。
そして平野の一番奥まったところに大宰府があります。
博多は古代より海が玄関口。
福岡空港へ向かう飛行機が、海側から着陸するのが本当にもうぴったりです。
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