飛鳥🦅石舞台から飛鳥寺
とぶとりの飛鳥を歩いています。
天気の荒れとか体調不良とかそういうのがなければ、来月は飛鳥ハーフマラソンもあります。
江戸には石舞台を古墳ではなくて本当に野外劇場だと思っている人が少なからずいて、返しに困ります。
ここから北へ、飛鳥宮跡を通って飛鳥寺へ。
このあたりで、iPhoneの電源が落ちました。
充電できそうな場所もなし、iPhoneごしでない景色を楽しむことにします。
飛鳥寺方面にてくてく行くと、管理人さんのいる立派な無料休憩所がありました。マップとかフライヤーとかあります。
飛鳥駅の前の案内所にはこういうフライヤーが全種類あるんでしょうが、橿原神宮前や壺阪山の駅にもマップを置いたほうがいいのになーと個人的には思います。
穏やかな気候と風景の中、迷うことなく飛鳥寺へ。
真言宗豊山派というのが、私は強く興味があります。
豊山派の総本山である大和長谷寺は天武天皇や聖武天皇に縁があります。
鎌倉長谷も聖武天皇に縁があります。
(聖徳太子の生まれた橘寺は法相宗→現在天台宗。)
蘇我馬子発願の寺、推古天皇(33代)の詔で大仏建立、聖徳太子孝養像の安置、寺の前には入鹿首塚。
孝養像って、聖徳太子の父である用明天皇(31代)の病気治癒のためではなかったでしたか?なぜそれが蘇我の氏寺にあるのかというのが私にはとても重要なところ。(平城遷都で飛鳥寺が移った先、元興寺にもある)そして31代と33代をつなぐ32代崇峻天皇。その諱は泊瀬部(はつせべ)。泊瀬、初瀬は長谷寺のある地名。崇峻天皇は正史で暗殺を明記されている唯一の天皇です。(まあ明記されていないだけで、暗殺された天皇というのは古代から近代に至るまd・・・)
設定揃ったな。(←妄想の)
本堂拝んでいたら、住職が簡単に縁起や大仏の様式などについてお話しくださいました。
北魏様式の大仏。
・・・私のことを北魏様式の風貌だという人がいますが、あくまでそれは南朝百済様式の柔らかくふくよかな感じと比較して、の話や。
飛鳥大仏は写真撮影可能だったんですけどiPhone落ちたし、そもそも写真技術ないし、あちこちのフライヤーでも目にはできますから。
仏さまと場と時間を共有できてよかったです。
やはり教科書的には蘇我氏は評価の高い人物ではないのでしょうか、しかし飛鳥寺の前の入鹿首塚は、とてもこの地域で大切に守られている印象がありました。(そうでもない時期もあった話も聞きますが・・・)
壺阪山駅 →キトラ古墳 →あすか夢販売所 →高松塚古墳 → 中尾山古墳 →天武・持統陵 →亀石🐢 →橘寺 →岡寺 →明日香の夢市 →石舞台 → 飛鳥宮跡 →飛鳥寺 →入鹿首塚 →橿原神宮前駅
距離 約13k
所要時間 約7時間
猿石🐒今回見てないし、立ち入り制限中の甘樫丘もコースに入れていないし、飛鳥寺と橘寺は何度でも訪れたいし、亀石🐢の無事も確認したいので、また歩いて回りたいと思ってます。