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温泉町の映画館

「子供の頃、タダで映画を観ていたんだよ」

私がそう言うと、たいていの人に驚かれる。

故郷の街には映画館が二館あって、ひとつは大きな商店街のレストランの隣にあった。

そのレストランのコックさんと父が友人だったので、無料で入ることができたのである。

いくら知り合いだからって、そんなこと可能なの? と思われることだろう。それが可能だったのだ。コックのナベさんから映画館受付のおばさんにお願いすれば、友達も一緒に無料で中に入れてくれた。
なぜかって、これは「そういう時代だったから」としか答えようがない。

私の小学校時代といえば百恵ちゃんの全盛期。「絶唱」「潮騒」「春琴抄」……。百恵・友和シリーズが上映されるやいなや、私はナベさんのところに駆け込んだ。
一番印象に残っているのは、サンフランシスコを舞台にしたラブストーリー「ふりむけば、愛」。海外旅行がまだ一般的ではなかった時代だったから、作品の中で移り変わる遥か遠いアメリカの街並みを見ているだけでドキドキした。毎回違う友達を連れて行き、四、五回は観ただろうか。友和さんが歌うタイトル曲も素敵だった。夫婦となったお二人は、この頃の作品を一緒に観返すことがあるのだろうか。

中学生となり、アイドル作品よりもハリウッド映画に興味を持ち始めると、私は、お小遣いを貯めて隣の市まで映画を観に行くようになった。最初は、オリビア・ニュートン・ジョン&ジョン・トラボルタの「グリース」だった。初めて触れるアメリカの青春グラフィティに酔い、電車に乗って映画を観に行く特別感も相まって、その夜は、ずっと胸の高まりが止まらなかった。

自然、ナベさんを訪ねる機会もなくなり、そのうちレストランは閉店、街の映画館は、私が進学で故郷を離れたすぐ後に閉館してしまった。

昔は今のように全席指定でもなく、入れ替え制でもなかった。時間が空いたからちょっと映画でも観ようかなと、ふらっと立ち寄れる気楽さがあった。

あれから数十年。百恵ちゃんには孫が生まれ、オリビアはこの世を去った。今は映画一本観るにしても、いちいち事前予約が必要で、本当に面倒な世の中になったものだ。

昭和レトロがブームなら、たまには子供たちに無料で映画くらい観せてやればいいのに、と本気で思う昭和生まれのおばちゃんの呟きでした。

有楽町に現れたゴジラ。目がちょっと変。



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