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【読書ノート】「純真なエレンディラと非情な祖母の信じ難くも悲惨な物語』

「純真なエレンディラと非情な祖母の信じ難くも悲惨な物語』
ガルシア・マルケス著


大きな屋敷に、14歳のエレンディラと、老婆(おばあちゃん)が、住んでいた。おばあちゃんは、とにかく、エレンディラをこき使う。そんなある日、お屋敷で火事が起きて、屋敷は、なくなってしまう。すると、おばあちゃんは、火事の損害を賠償させるために、エレンデイラに売春させる。純真なエレンデイラは、ひたすら、非情なおばあちゃんに従う。

物語から見えてくるもの。

権力と支配
おばあちゃんはエレンデイラを対支配し、彼女を自分の意のままに操る。そして、エレンデイラを自分の利益のために働かせる。

この関係性って、資本主義経済によりもたらされた経済格差を象徴しているのではないかと理解した。

持てる者は、持たざる者を圧倒的な力で支配する。おばあちゃんは、エレンデイラが自立することを恐れ、従属させることで自分の存在意義を保とうとする。

キーワードを挙げてみる。

①駝鳥
1.現実からの逃避や無知を選ぶことが人間の本質に内在する傾向が、あり、自己認識や存在意義に対する重要な問いを投げかけとなる。

2. 駝鳥は飛ぶことができない鳥だが、その大きな体と速さは地上での自由を象徴する。人間にとって、何が本当の自由であるのか、また制約の中でどのように自由を見つけ出すかという問いが浮かび上がる。

3. 駝鳥は厳しい環境に適応して生き延びてきた生物。このことは、変化する状況に対してどのように自分を適応させるか、またそれが自己の本質にどのように影響するのかという問題を考えさせる。

4.理性と直感の関係、そしてどちらが人間の行動において重要であるのか、またそれぞれの役割についての考察を促す。

②驢馬
1. 驢馬はその働き者としての性質から、勤勉さや忍耐を象徴する。彼らは重い荷物を運ぶことができ、困難な状況でも耐え抜く姿勢が、努力や献身の象徴とされる。

2. 驢馬の姿は、しばしば単純さや素朴さの象徴と見なされる。彼らは自然の中での平凡な存在であり、人間社会の複雑さから解放された純粋な生き方を示唆する。

3. 驢馬は厳しい環境でも生き延びる能力があり、逆境に対する適応力を象徴する。これは、人間が困難な状況に対してどのように反応し、成長するかを考える際のメタファーとなる。

4. 驢馬はしばしば「愚鈍」とされることもあるが、その一方で、彼らの行動は知恵や直感の表れであると解釈される。

③緑色の血
緑色は一般的に自然や生命を象徴する色であり、緑色の血は生命の循環や相互関係を示唆する。また、緑色はしばしば癒しや調和を象徴するため、緑色の血は心の平和や内面的な調和を表すと考えられる。

④エレンデイラが金の延べ棒を持って走る姿は何を意味するのか?

1. 金の延べ棒は物質的な富を象徴しているが、同時にエレンデイラの自由や解放の象徴とも捉えられる。エレンデイラが祖母や社会からの束縛から逃れ、自分の運命を切り開こうとする自己実現に向けた強い意志を示している。

2. 金は単なる物質的な価値だけでなく、社会的な地位や力を象徴する。エレンデイラが金の延べ棒を持つことで、彼女がこの社会の中でどのような価値を見出し、どのように自己を位置づけようとしているのかが問われる。彼女の行動は、物質的な価値が本当に重要なのか、あるいは他の価値観が優先されるべきなのかという哲学的な問いを引き起こす。

3. 金の延べ棒を持って走ることは、エレンデイラが、自らの運命を切り開こうとする意志の表れであり、自己の選択で人生を構築する姿勢を示している。

物語の主題は何か?

格差社会の行き着く先を垣間見たような気がした。

持てる者と持たざる者はどうやって共存することができるのか?
考えさせられる。

人間は生まれながら罪人なわけで、放っておけば、滅んでしまう。すべてを超越した神という存在が、必要なのだろうなあなど思ったりした。

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