【独りよがりレビュー】方向音痴って、なおるんですか?
方向音痴であることは、昔から自覚している。
左右をよく間違えるし、東西南北の位置関係も分かっていない。
知らない土地では迷うことが前提。何度もGoogleストリートビューを確認する。迷う前提で時間設定をする。
最悪、どうしても迷ってたどり着けないときは「タクシーに乗ればいい」と言い聞かせて、不安を和らげるようにしている。
初めて一人で東京出張したときのこと。
JR有楽町駅から地下鉄銀座線に乗り換えるはずが、なぜか銀座の高級ブランド店の通りに迷い込んでしまったことがある。当時はまだガラケーの時代で、地図アプリの機能もイマイチだった。まあ、使う人間(つまり私)が地図がまともに読めないのだから、ないのも同じ。
銀座のど真ん中をふらふらとさまよっていたら、運よく交番があって、銀座線の入り口を教えてもらえ、事なきを得た。
おととし、note酒場に行くため上京したときは、Googleマップのとおり行ったはずなのに、泊まるホテルを間違えた。「予約されておりません」と言われ、間違えたと気づいたときの恥ずかしさは一生忘れないだろう。
こんなふうに恥はかくけど、人に聞いたり、教わったりしながら、何とかやってこれた。それでよかった。旅の恥はかき捨てだもの。
だけど、一度、本気で焦ったことがある。
JR難波駅のバスターミナルから、高速バスで徳島へ帰ろうとしたときのこと。
徳島から来たときはよかった。土地勘のある友人が迷っている私の所まで迎えに来てくれたので、それ以上迷わずにすんだ。
でも、こうして人に頼りすぎたのがまずかった。
集まりも終わり、友人たちと別れた。
一人になったら、自分の現在地が全然分からなくなった。
Googleマップを開いてみても、駅構内の地図は表示されない。駅の構内図を検索しても、自分の現在地が分からなくて、一歩も進めない。
周辺をうろうろ歩きまわって、やっと駅の壁に貼られた駅構内の案内図を見つけた。なぜか私の乗るバスが止まる湊町バスターミナルが載ってない。代わりに「南海なんば高速バスターミナル」と表示されている。湊町バスターミナルの別名かもしれないと解釈し、とりあえずそっちらしい方向に向かって歩いてみた。
行けども行けども、バスターミナルは見つからない。
気が付くと、さっきの案内図のところに戻っていた。なぜだ? ここは、時空がゆがんでいるのか。それとも、RPGのダンジョンなのか。
ならばと、さっきと逆方向に進んでみると、なぜか地上に出てしまった。
これはダメだと、再び、駅に入って、案内図の前。ふりだしに戻る。
私は一体どこにいるのだろう。
巨大ターミナルの真ん中で、立ちすくんだ。
大勢の人が足早に私を追い越し、すれ違っていく。
冬だというのに、汗びっしょりになって、駅の構内を右往左往。
高速バスの出発時間は刻々と近づいている。
このまま、ダンジョンで迷っているうちに最終のバスが出てしまったら……心細くて、怖くなってきた。
この時ほど、己の方向音痴を呪ったことはない。
落ち着けと言い聞かせてながら、ぐるりを周りを見ると、1軒の和菓子店が目に付いた。店員さんがこちらに向いて立っていた。
勇気を出して、店に飛び込んだ。
「すみません、湊町バスターミナルはどう行けばいいんでしょう」
「あ、向こうをずーーーっと行ったところですよ」
店員さんが指さしたのは、自分が今までうろうろしていたところとは、全く別の方向。そっちにまだ道があったのか。
思わず、お礼もお店の商品を買うのも忘れて、店を飛び出した。(すみません)
和菓子店からバスターミナルまでは遠かった。
後で知ったが、南海バスターミナルは湊町バスターミナルの別名でもなんでもなく、全然違う所にある別のものらしい。
どおりで見つからないはずだ。方向音痴にもほどがあるが、自分の無知にもほどがある。
果たして、店員さんの指さした方向に、湊町バスターミナルはあった。
あれ以来、怖くて、なんばダンジョンには一歩たりとも近づいていない。
こんなことを思い出したのは、とても興味深い本を見つけたから。
「方向音痴って、なおるんですか?」
noteでもおなじみのライターの吉玉サキさんが、方向音痴を克服する体験記。
まず、方向音痴あるあるが、当てはまりすぎて、びっくりした。
・地図をくるくる回してしまう
スマホと一緒に自分が回ることも……
・「北が上じゃない地図」を見てもそのことに気づかない
北が上じゃない地図があるんだ……
・最初の一歩を勘で動き出す
いつも、丁か半かの大博打
・個室居酒屋でトイレから戻ってこれない
個室の扉を開けるときのドキドキ感
・東西南北でなく前後左右でいってほしい
左右も怪しいので指さしでお願いしたい
ざっとこんな具合。自分が怖い。
吉玉さんは、専門家にアドバイスをもらいながら、方向音痴のしくみ、地図の読み方、地形の見方、地名の由来など様々な見地から方向音痴の謎を解いていく。
読み進めると、目からウロコがポロポロ。
・地図上の目印が2つ以上見つける
2つの目印の位置関係から、現在地が分かるそう。
・あらかじめスタートからゴールまでの道順をイメージする
最初の数メートルしか見てなかった。
・地図の上に立つイメージを持つ(地面に地図が書いてある感じ)
考えこともなかった。
地図を読んで目的地にたどり着くには、スタートからゴールまでの道順をつかむ鳥の目と、目の前の目印をしっかり確認する虫の目が必要だと知った。
ゴールのバスターミナルもあやふやで、駅の案内図を詳しく見もしないで、勘で歩くから、現在地も分からないままだし、目的地と全く違うエリアで同じ道を何度も行ったりきたりしてしまったわけだ。
私には、どうやら「地図とリアルをリンクさせ、風景を記憶しながら、ゴールまでの道のりを意識して歩く」ことができていなかったようだ。
こう書くと、難しそうだが、要は「考えながら歩け」ということだ。
それから、もう一つ。
吉玉さんは本の中で、東京都内はもちろん、実家のある北海道まで足を延ばして、いろんなエリアを歩いていた。
もちろん、地図の読み方を教わったり、専門家の案内はあるものの、様々な街を実際に歩いてみることが、経験となって、次第に自信になっていたように思う。
それにしても、方向音痴が芸術の才能のような生まれつきの素養ではなく、後天的なものだとすると、地図が読める人、方向音痴じゃない人は、この本に書かれているような、街の歩き方をいつ知るのだろう。
子供がお箸の持ち方を親や周りの大人から教わるように、地図の読み方も、親から子へ伝授されるものなのだろうか……?
謎だ……
でも、この本のおかげで、方向音痴は完全に直らなくても、前より地図に向き合えそうな気がしている。
他にも本には、地形や地名の秘密など、とても興味深い専門家のお話も取材されていて、方向音痴の得意技、「迷うこと」の楽しみ方も教えてくれていて、読み物としてもとても面白いかった。
さあ、次こそは、「なんばダンジョン」を攻略してみせよう。