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人に求める安心と自分で作り出す絶対的安心感。

自己否定
自己嫌悪

それが当たり前だったけれども
当たり前ではないのだなと気がついた。

人に求める安心感。

ダメなことではないと思う。
もちろん、必要なことでもあるし。

信頼出来る人が、そばにいること。
愛する人が、近くにいること。

それは、自分の安心に繋がる。

でも、その人が目の前からいなくなったら、安心してこの場にいることがなかなかできなくなる。

でも、人は安心というものを、自分でも作り出すことができるのではないかなと思った。

私が嫌いな、私がいる。
しかし、そんな私を否定しないで受け入れてくれる人がいる。

とても感謝なこと。

その人から、与えられる安心は大きい。
私のコンプレックスさえも、否定しない。

私が私を否定するとき。

……それは、私が私との関係を見直すとき。

内側から溢れるもの。

自分を愛するとか、自分に優しくするとか、自分を世界一愛するとか……まだまだ難しくてなかなかできない。

でも、自分を大切にしてくれている人を思い出すと、感謝の気持ちになれる。

その感謝の気持ちは、なんとなく離れ気味の自分と自分の奥深くの部分が繋がるような気がする。

自分の内側から溢れるもの。

愛も憎しみも
恨みも悲しさも

全部否定しない。

私が私を受け入れないで、誰が私を1番に愛してくれるというのだろう。

絶対的というものは。

家族が愛してくれるように、私は私を愛してみよう。

あの人が、大切にしてくれるように、私は私のことを大切にしてみよう。

それができている日は、安心を誰かに求めることはしない。

自分の内側から感じられる、絶対的な安心感と繋がっていられる状態。

自分との関係が良くないとき、拗ねたり、怒ったり、嘘をつこうとしたり、我慢もする。

ううん、そうじゃないんだよな……と、心の違和感に気がついた。

私は私を否定しない。

これではダメだとか 
全然良くないとか

本物の愛を向けてくれる周りの人や、愛する人は、そんな風に私自身を罵倒しないもん。

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