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死にたいって言っちゃだめ?

死にたい理由なんてない。
仕事もプライベートも充実している。
家族、友達、彼氏に恵まれている。

周囲の人からはそう見えているのかもしれない。

ただ、私は訳もなく死にたい。
たぶん訳はあるんだけど、見つからない。

私はどうやら完璧主義らしい。
完璧主義のチリツモが「死にたい」に繋がるんだ。だからたまに、訳も分からないこの感情が沸き上がる。

元旦那以外、誰にも言ったことはない。
「死にたい」って思っているんだけど、これを言ったら怒られるってわかってるから。きっと生きさせようと励ましてくるから。ものすごく心配させてしまうから。

私が適応障害で休職したとき、母や姉は過保護だった。私が死なないように励ました。「仕事やめればいい」「楽に生きればいい」と励ました。
今思い返すととてもありがたいことなんだけど、当時は「家族を心配させている自分」を更に嫌いになった。

怒るのも励ますのも、よくわかるよ。
だって私もあなた達に「死にたい」って言われたら、そうしてしまいそうだから。

でもね。
自分が適応障害になってよくわかった。
「死にたい」と言うのは勇気がいる行為。
頑張って頑張って素直に言えた時に怒ってほしくない。励ましてほしくない。

その点、元旦那の対応は心地よかった。

「がんばって生きてるんだね」
「わかるわかる、僕も死にたいもん」

それだけ言って、あとはただ、私が泣いて喚くのを見ていた。なだめることもしない。
それが私にとってはとても心地よかった。

それ以降、度々、元旦那に「死にたい」と言うようになった。その言葉の重みや頻度も、だんだん減っていったのは事実。

最終的に「死にたい」というワードを世間話に織り込むことが出来るようになって、「死」について真剣に話せるようになって、死にたい気持ちが消えて、言わなくなった。

「死にたい」と言う事がタブーという風潮をなくすことはできないのか。「死にたい」って誰かに言うことで死ななくて済む人も中にはいるかもしれない。

今日も今日とて死にたいけど、自分の中で消化する。実はみんな言ってないだけで、器用にそうしてるのかな。
もし私が急死したら、「あんなに幸せそうだったのに何で」なんて絶対思わないでほしい。
誰にも言ってないだけで、死にたいって思っているんだから。人には人の事情があるんだよ。

おわり

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