「自分で考えろ」とは
GW半ば、前職の後輩から「”自分で考えろ”って上司によく言われるんですけど、それって怠惰じゃないですか?」と言われた。
確かにそうかもしれん、と思いながらも、
これまでの経験から自分で考えることの大切さは重々承知しているつもりでいた。
本当に怠惰なのか?どのケースだと答えを教えてもいいのか?自分で考えさせることと最初からエッセンスを教えること、どちらが良いのか?
と、ここ数日間考えていたが、なんとなくまとまった気がするのでnoteに記しておく。
(自戒を込めて)
=======================
社会人3年目になり、部下を持つ機会も増えてきたので、
こういった話に付き合ってくれる方がいればメッセでもなんでも連絡ください!話したいです!
=======================
【目次】
1. 至った結論
2. ビジネスにおける守破離とは
3. 部下を育てる上での心得
4. 「自分で考えろ」が口癖の人の正体
1. 至った結論
『「自分で考えろ」は上司の怠惰である』との結論に至った。
但し、マジョリティがそうであるだけであり、怠惰ではなく部下に本当に意味のある思考実験の場を提供しているケースも少なからずあると思う。
具体的に言うと、
「自分で考えさせるべきポイント」と「教えるべきポイント」があり、
それらを履き違えているために、無駄に考えさせている or 教えられないといった事態に陥っているのが現状であると考える。
前提として、マネージャーとしてチームを牽引する際、以下の3つの責任があると考えている。
① 目標の達成責任
② 部下の育成責任
③ チームの働く環境を整える責任
今回は上記のうち②に触れる内容だと思って読んでくれるとありがたい。
更に、部下を育成/マネジメントする際、部下に対してコミュニケーションの種類は3つあるとして話を進める。
① コーチング
② ティーチング
③ カウンセリング
2. ビジネスにおける守破離とは
多少荒々しいかもしれないが、
「守破離」を「基礎/応用/発展」と置き換えて考えてみる。
業務内容をこの守破離に当てはめると下記のように分類できるだろう。
これは、数学の学習方法とほぼ同様の流れである。
まずは「公式=基礎」を学習し、「公式の導出」を理解することで公式の仕組みを知る。
その後、基本問題に取り組み、公式を頭脳に叩き込み、慣れてきたところで応用問題を解く。
応用問題もある程度できるようになれば、より複雑で様々な公式や基本理論を組み合わせて解く必要のある発展問題に取り組む。
さらにこれを抽象化してみた。
基礎/基本理論をX, 応用/実践をY, 発展/創造をZとおく。
また、基礎/基本理論となるXを構成する要素をA1・・・Anと置き、それらの集合をAとおく。
つまり、「X」という考え方は「A1やA2等から成り立っている」とする。
例えば、「市場分析のフレームワークである3C(X)」は
「自社(A1)」「競合(A2)」「消費者(A3)」から成り立っている等である。
(少し強引であるが。)
数学で言うと、Xは二次方程式の解の公式であり、Aは二次方程式の解の公式の導出のプロセスである。
つまり、【仕事を進める】とは、
理論Xとその構造Aを知り、目前の事象に当てはめて成果Yを出すことである、と抽象化できる。
(Zはその先にある。)
2. 部下を育てる上での心得
では、部下を育成する=仕事を進められるようにするにはどうしたらいいか。
結論としては下記のようにコミュニケーションをとるのが良い。
Xは教えるべきなのだ。
Xを知らなければ、Xの応用であるYを理解できるわけがないからだ。
そもそも「分かる」とはどういうことか、波頭亮さんの「論理的思考のコアスキル」には以下のように記されている
==========================
思考とは、端的に定義するならば「(何かを分かろうとして)情報と知識を加工すること」である(情報と情報、知識と知識の加工でもよい。)
(中略)
目の前のモノの色や形や大きさなどを観察して、それと似たようなモノに関する自分の知識と照らし合わせて、目の前のモノについての情報と符合する知識が自分の中に見つかれば「それは◯◯だ」と分かるし、情報と知識が全く同じでなくてもだいたい同じであれば「それは◯◯だろう」「それは◯◯かもしれない」というメッセージを得ることになる。このような情報と知識を照らし合わせたり、繋ぎ合わせたりして何らかのメッセージを得るプロセスが「思考」である。
==========================
出典:2019年4月10日ちくま新書出版 波頭亮『論理的思考のコアスキル』14-15頁より引用
つまり、守破離(X→Y→Z)においては、
「X理論(あるいは類似するX’理論)の情報や知識」が元々備わっていない人が、いくら考えて(=思考して)も、「分からない」のだ。Yは導きようがない。
ただ、現状としてXを知らない後輩に対して「自分で(Yを)考えろ」という上司が多く存在する。
「分からないところが分からない=XやAの存在を知らない」という新人のやる気やモチベーションを低下させる一言であることに気づいていない。
(中にはXを自ら導くことのできる天才的な人もいると思う)
部下に対しては「Xは教えてあげるべき」であるし、
Xそのものを教えなくとも、ヒントであるA1やA2を小出しにして、Xの導出のサポートをしてあげるべきである。
また、Xを教えるだけで完結してはならない。
Aを十分に教えてあげることで、部下は自らYをアウトプットできるようになる。
Xを教えるだけだと、「2次方程式の公式だけ覚えて、公式では解けない問題が出たときに対応ができなくなる」からだ。
4. 「自分で考えろ」が口癖の人の正体(自戒を込めて)
これは以下の3つに集約できるのでは、と考えている。
① そもそもXを知らない。(これまでの経験を抽象化/理論化できていない)
② Xを教える時間がない。(部下を放置してしまっている)
③ 人が「分かる」仕組みを知らない。(教えるのが下手)
1. そもそもXを知らない。
過去の経験/アウトプット(Y)を自分なりにパターン化できていないとこうなるのではないかと考える。
Y,Y’, Y’’とかなりの経験を積んでいるにもかかわらず、帰納的にXを導けていない状態である。
2. Xを教える時間がない。
これが一番厄介である。
とはいえ、ベンチャー企業でがむしゃらに働いた自分に思い当たる節は多々ある。
3. 人が「分かる」仕組みを知らない。
これは意外と盲点となるところである。
とはいえ、自分自身も試行錯誤中である。
これら3つの現象は「自分で考えろ」と部下に言うことの「楽さ」に帰結するではないかと思う。
つまり、怠惰なのではないか、と。
5. まとめ(あとがき)
以上、最近の思考をまとめた結果でした。
書きながら思ったのは「自分自身もまだまだできていない」ということ。正解は分からない。
第4章の文章量が異常に少ないのは、そういうことです。笑
言うは易し、行うは難し、ですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?